10月号
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—フ⑪平安朝の時代には広茫3キロ四方にも及ぷ嵯峨野はすすきおい茂る野辺であったという。あだし野は小倉山の北麓に位置し、古くから庶民の葬いを送る場所であった。死骸を捻てて風葬にし或は野ざらしのものもおびただしくあったという。東山の鳥辺野、北の蓮台野とともに培墓の地の―つであった。⑪化あ野だし念のね仏ん寺ぷつじ明治の初年、あだし野に散乱する石塔石仏をあつめ念仏寺に安杞したのが念仏寺の石仏の起原であるといわれる。八千体に及ぶ石仏群はあだし野の歴史とともに異様な感覚をもって私達に悽愴の感じをあたえる。嵯峨の史韻の中でも特異なものである。猟奇的な興味をもって見学する人が絶えない。Rすすきは日本の風景によく調和するし、古い寺院や崩れ落ちた土塀を背景とするすすきの群がりは澁和な梱図ではあるが静かな調和をみせる。いけばなのすすきもこれと同じように日本種の草花(たとえばリンドウ、キキョウ、サンギクの様に)を添えるとびったりとして、静かな調和の美をみせる。洋花が調和するように、すすきのように、春の椿のような純粋の日本種の花には、あしらいは日本の花がよく似合うが、時として洋花のうち落培きのある形と色彩のものをつけて咸営しを変えるのも―つの研究であると思う。すすきも尾花だけ見つめると明るい色と形をもっている。ダリアなどにもよく調和すると思う。形と色をぷ質的に考えて新しい発見をしたいものである。。ハンパス(洋莉のすすき)にはRすすきバンダ(洋蘭)バ7 ヽ・・ヽ., ` .

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