10月号
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しめやかに時雨のすぐる音きこゆ嵯峨はもさびし君とゆけどもその昔、平安朝の嵯峨野は大宮人の御狩場として、月の名所として有名であった。また春は若菜摘む広い草原であったという。踏寺院などを訪れて取材したのがこれであ東は太秦、西は小倉山の山麓まで、北嵯峨の山裾から南は大堰川まで、嵯峨野の歴史はその自然の美しさとともに、あるときは嘆賞の詩となり悲恋の物語さえ伝えられる流転の舞台でもあった。今は京都市右京区嵯峨町となったこのあたり一帯には数々の史跡や、嵯峨ゆえにこ吉井勇写真そ伝えられる哀しい物語のあとも残されて訪れる人達に深い感銘をもたらすのである。九月八日、10月号のテキストの写真をとるために奥嵯峨から渡月栢あたりまで、名る。このテキストの「すすきのいけばな」と嵯峨の風景とは直接の製係はない。しかし秋の嵯峨野の印象は、すすきのいけばなにびったりである。冷えびえとした秋雨の中で撮影した風景写真を添えて、すすきのいけばなを活ける。深み行く京都の秋を連想しながら、私のお話を聴いて欲しい。R Rすすき女郎花10作ヒn文木梗2 嵯峨野の秋すす言を活ける進渓小専西二尊院にてにそんいん

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