10月号
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元気にな1れ栴擬の赤い実が、伸びやかな枝いっぱいについているのを見ると、晴れやかな気分になるのは私だけだろうか。父・仙粛はこのてのし人粒品種よりも小粒で実のつきもさほど多くない権擬のほうが品、があって好きとよく言っている。京の冬景色を好む父には、この大納言と呼ばれる大粒の梅擬では風情というものに欠けるのかもしれない。花材に風情を求める心は、いけばなの奥深さに触れたいと思うことと重なる。いけばなは単に美しく部屋を飾るというととだけではない、植物と人との深いかかわりの先に生まれる美であり、いけた人の技術だけでなく、人柄や知性、体験や思考の積み重ねがいけた花にあらわれるところに面白みがある。そんなことを父のいけばなは教えてくれる。父は5月末から入院中で、「テキスト」に花と文章がしばらく掲載できずにいるので心配しておられる方もおられたと思ヲっ。不思議な魅力の父の花と仙蔚彩歳はまだしばらくおあずけだが、晴れやかに真紅の悔擬をいけることで、父ヘ力を届けたい。花材栴擬花器赤茶紬花瓶鉄砲百合鈎イ|||渓9

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