10月号
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『すduzワ合』’lv桑原市守慶流いけばなテキスト掛け仙粛彩歳私は未だに原稿用紙にニモすつ手書きで一桝ずつ埋めていっている。一北旦削のワープロにも無縁だったしパソコンにも用はない。パソコンのキlを打つより手書きの原稿の方が好きなのかもしれない。但し毛筆やペンではなく鉛筆で2010年川月lu発行(毎月lMl日発行)桑原専底流家バ発行書いている。鉛筆は何しろ小学校に入る前からの使い慣れた筆記具なのである。八十年も使い続けていれば愛着も湧く。小学校から書き取りの試験、その他の答案もすべて鉛筆だった。唯一習字だけは毛筆だった。習字の時間には最初、硯に水をついで墨を磨る。濃淡は自分で調節しなければならない。だが十分ほど黒字』磨っている問に習字の心構えができてくる。でもいい字が書けるとは限らない。折角磨った墨である。いい加減な書き方はしたくない。だが習字の時間で書いたほど鉛筆害きの然口案やノlトの字はちゃんと定価五二任門をさ一\\2rctξωしていない。母に「この答案の字はまともに読めないほどひどい字ね」と云われた。その夏休みに大きさ二γ角ほどの字を楕書で書く練習をしてみた。やってわかったことは自分の字がどれほどひどかったかと思い知ったことである。それまでに書いていた字の二割ほどは自分でも読みgzmoDWE−no返せないのである。字を稽古する方がパソコンの会厚い手引書を相当な時間をかけて読んで使い方を党えるよりずっと気分がいい。そんな手引書を読みこなす時間よりは、私の本棚にびっしり並んでいる本を読み返す方がよさそ、つである。言葉、或いは字を探すのに未だに漢和辞典や大辞林はすぐ手の届く所に並んでいるし、植物辞典も一緒の本棚に並べている。辞書をひくのは楽しい。間違った頁を聞いても、その頁には今まで知らなかったこと、或いは間違って覚えこんでいたことを訂正することもできる。勿論パソコンでもできることだろうが、例えばこの頁に使った萄黍でも植物辞典で調べると稲科の萄黍に似た色々な植物に出合える。間違えた頁を開いてしまうのが、かえって楽しいことがある。いい植物辞典だと原産地での生育状態の写真、近縁種の解説や差違もよくわかるように−記されている。自分の知識をパソコンにインプットするか本棚に並べておくかの違いでしかないと云えば成る程そうに違いない。手書きしかしないのは私の性分なのだろう。苦にならない。行型二種挿淡青色粕水盤十化刑−萄黍E器鶏けいと頭う仙驚

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