10月号
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寸そ仙粛彩歳紀元前三青年頃、ギリシャのテオプラトスという人が「人さまざま」という本を書いている。その頃のアテネの人々の様々な下らない一面をとり上げ、子供たちに伝えようと三十項目ほどの不徳をあげてまとめている。「杢とぼけ」、「へつらい」、「けち」、「年寄りの冷水」、「お節介」等々、誰事にで柄もで’あ日る分n身。も身におぼえのある二章白の「へつらい」を{喜戒して、へつらいとは、恥ずべきことではあるが、しかしへつらう当人には得になる交わり方である、と一般に思われている。そこで、へつらう者とは、およそ次のような人の事である。と前置きして、へつらう人の様々な言動を描写している。それがとてもユーモラスに舎かれている。一気に読んでしまって、さて、と思い返してみると、二千三百年昔の人と私達のすること云うことは、ちっとも変わっていないのである。その後、仏教やキリスト教が始まり、色々崇高な理念が創り出されたが未だに人の心、或いは心理というものは、科学技術のようには向上していないのである。だが人間は下らなきと同時に、種の気高さもそなえている。だからこそ、その中間で楽しく生きられるのであろう。(参考・「人さまざま」岩波文庫)あわふう寸んとうわれ風船〈叩頁の花〉楼子淡い緑色の風船昨日綿の皮は光が透けるほど薄い。軽い花材なので横にのび出させてもいいが、多すぎると視覚的には不安定に見える。作例でも少し切りはずして挿している。赤いアマランサスをとり合わせて花器も赤いガラス器を選んだ。この二種だけでもいいのかもしれないが、花器の感じに合わせ、白いデンフアレをとり合わせて、左にのばした風船庸綿と形の上での釣り合いと、配色の明るさが感じられるようにした。とり合わせた赤い槍鶏頭に似たアマランサスはその名で売られていたので、多分ひ克申科の克属の園芸品種なのだろ、っ。鶏頭を含む菟科は六十五属、八百種もある大世帯、だがよくいけばなに使うのは、克属では葉鶏頭、紐鶏頭の他に、食用に栽培されているアンデスやヒマラヤ古同地のアマランサス・ピコポンドリアクス。この花は黄色や濃いオレンジ色の槍鶏頭のような形をしている。作例のアマランサスもこの系統の閑芸品種だろうかと思う。鶏頭属には、久留米鶏頭、鶏冠鶏頭、拾鶏頭、羽毛鶏頭(Jmw鶏頭)など初秋からよくいける品種がある。時々花屋でセロシアという名で売られている穂先が淡紅色で裾の’い五1六γの花は野鶏頭なのだが、nっ一ぽι10

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