10月号
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なつはぜ節の花をとり合わせてしまう。あまり変わったいけばなにはならないが、花をいける喜びの巡り合いを深々と感じる。花材山鳥兜花器この小さな強栗。縄文人の秋の主要食物だったそうだが、誌の中の実は一Yか一Y五Vほどしかない。一人分どれぐらい集めなければならなかったのだろう。人間だけでなく、山の動物達の栄養源だった小さな野生の芝栗は、平ム女時代になると丹波で大きい実の品種が栽培されるようになったことが「延喜式」に記されている。何十万年前から日本列島では食桝として大切な実の成る木だったので、その姿形は秋という季態笠深く結びついている。だからこそ、花としていける場合、自然に菊や秋草をとり合わせてしまうようになる。外来種の花、としとぼりぐり合わせても別にかまわないのだが、例えば芝栗の実と葉のついた自然な枝にアンスリュlムをいけ合わせたとする。造形上は新しい試みにはなる、だろうが、どちらも引き立てあわない様な気がする。それぞれは良いものではあるが、お互いの持ち味を消し合わないのが文化なのだと思う。良い枝ぶりの芝栗に淡紅色の菊、そこに白い桔梗を散らした昔乍らの秋の投入の作例。花器栗と私花材菊夏櫨菊(淡紅色)(淡紅色)白桔梗芝栗赤絵格子文投入花瓶〈3頁の花〉3 達紅褐楼色粕花瓶

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