10月号
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龍りんど謄うす薄す会花型行型二種挿花器灰白色紬小型花瓶おそがけに穂を出した薄に龍脆薄は水揚がりがよくないが、いけて楽しみの多い花材である。一般的な水揚げ方法として、水切りしたあと切円を酢酸にひたしてから暫らく深水で養うのだが何といっても新鮮さが一番大切である。そして野生の薄より、栄養を十分に与えられた栽培種の方が葉がしなやかでよくもな切花として売られている龍謄は茎が殆ど真直な上、撰めると折れてしまうので生花には扱いにくい花材である。花屋で扱われている龍臓の中には、下部に細い小枝がついていてその先に花が咲いているのがある。作例の龍謄では、真は茎の僅かな曲がりを利用して反りを見せている。副は茎の下の方で分かれた小枝のうちで副の形を作れそうなものを見つけ、その小枝から上部を折りとって真にそえている。留も同じ方法で枝どりしている。(下図参岳ω龍脂の枝どり小枝の上を切りとるこの薄、龍謄の二種いけでは薄二本、龍臓は二本から枝どりしていけている。花型としては薄と龍臓の真、同じく副。留は龍謄の小枝という三体の小さい生花である。先月号で書いたプライヴエイトな花の一つである。しきたり昔から皆こうしてきている、だから間違いのないことだと思いこんでいるのがしきたりである。勿論しきたりの中には良い面もあるが、ど、?もこれはおかしいという事柄も多い。又しきたりが当然のこととして受け入れられるともう一度自分で考え直す機会を失ないかねない。先代も伝統的な習いごとの場合にしきたりの中に安住しがちになるのをいましめている。そして、いけばなには伝統的な、或は古典的ないけばなと、近代的ないけばなが考えられるがいずれにしても、いけばなを教える人、習う人が深く考えずに、いけばなとはこうい、?ものだという固定観念(しきたり)にとらわれていると安易な型物におちいってし幸せつことになるだろうと云っている。それは単に花型のことだけでなく花材の選択と花器の用い方にも及んでいる。例えば老松と持綴というとり合わせは「不老長春」と名付けられて古くから上品なとり合わせとされてきたが、貼り苔の松にいい加減な菩級数本をとり合わせても決して品格は求められない。それよりもしきたりを変え色の良い若松と、その緑によく合、っ傘回議二輪を挿しておけば「不老長春」をもじった一瓶よりはるかに良い花になるということである。4

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