10月号
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昌司一山を歩き、絵を描くのが和則と同じく同家に婿養子園田一好きな少年だった。学校でに入った現家元、仙漢の優一は、徹密な頭脳と手の器用れたマスコミ戦略と、家族一さが幸いして、電気工学にの一人一人が流を背負って一進んだ。いけばなを始めた立てるタレント性を供えてF一のは、中学時代からの恋人、いるのが理由だ。号一桑原専慶流家元の長女、裡作風も「絵で一吉田うなら、2一子と結婚してからだ。結婚義父は水量、義母は油絵、一する以上はいけばなを、と槙子は水彩と、個性がみな一の同家の要請だった。遭う。ぼくですか。さあ、一「つかまってしまった感日本画かな、毒のないされ恒一じはしますが、いいところ岩一につかまったな、と思って個性の持主に囲まれ、苦一います」一じく、元禄時代、池坊から:一分かれた富春軒専慶を流祖宗一とする。現在十四代を数え:一るが、近年、流はこれまでにない隆盛を誇っている。いな円山派とか」。強烈な桑原専慶流は尊慶流と同立花(花材は七竃HななかまどH、鉄線、紅額、河原撫子HなでしこH、晒木。花器は古鏑立花瓶。幅叩向ン×奥行刊弓×高さ閣内ン)しくないわけはない。「ぼくはいけばなの家に育つてない。義母や樫子を見てると、自然に身についたものってスゴイ。花と向き合う時のあの本能的なもの。ぼくにはそれがない。でも場数を踏むことで、いつかは追いつけると思います」その覚悟が彼を古典に向かわせる。生花(せいか)と現代花を学んだ後、この家では男の仕事とされる立花を始める。宇宙の広がりが一本の足元にまとめられ、まっすぐに立つ緊張感。得意の大工仕事。晒木る。石につるを思わせる蝶か、排除されるかのどちら(しゃれぼく)探しの山行旋状の金属を立てて輪の部か。悩んだ結果、アナナスき。和則は立花にとりつか分にすだちをはめ込んだ二百鉢で構築した直径一・れた。い)に移すのだと一言ってまグロリオーサを配したり。す。一本の枝を出すことによって、谷ができたり、水て造形をと、工夫のことばなく、生きている縞物とし辺にそよ風が起こったり・・かりに定ると、結局は薄つての存在感を発揮した。生立花には、ことばに表現でさないくらい奥深いものが省が今すごくあって」した和則。囲のアドバイスによって、た。伝統美の庭園は何をもと出せないものを自分の仕造形いけばなに手を染めってしでも飲み込まれる事にしていきたい。でも、あります」昨年、「芸術祭典リ、自然のグロリオーサに八Mの球体を制作した。土「流祖は自然の景を瓶(へ銅の〆Yゾュで作った自のつきのアナナスは、期間中、「でもね、異素材を使つに育ち、形としてだけではぺらいものになるという反の花を使う手応えを再認識やがて、遊びも、との周で棋穀邸の池畔に花をいけ造形でも、生きた花がない・京」「毎日の水やりによって元気これからは、古典でもやっぱり、帰るところは立花ですね」林恭子)(編集要一生きた括に手応え感じてル17帆7υ4一創7Q7 昨年、「芸術祭典・京」で根強邸の池畔で試みた作品一「異素材をやっても、造形をやっても、帰るところは立花です」1999年(平成11年)8月18日水曜日緊張感や広がり立花には奥深さ

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