10月号
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dM刷ωFMVけ、、ハp0FEnL・一md2mMm 叫にnυ,hlil4同]tr i1nd VEl』川百制刃はディス力バリ18月号伝統芸術としての様々な在リ方いけばな特集四月の初旬、いけ花特集ということでインタビュー券旨つけたデイスカパリl八月号(キャセイパシフィック航空機内誌)が香港の本社から送られてきた。キャセイパシフィックは日本にもかなりの便数が乗り入れられているので大阪や成田からの利用客が多い。八月の初旬には「先生機内で拝見しましたよ」と聞いていたので楽しみにしていたが、かなり難しい英語で、いけ花の概説とインタビューした五流(龍生派、桑原専慶流、小原流、古流松聴会、池坊、草月流、掲載順)の各家元から聞きとった話を記者なりにアレンジして紹介している。記事をとりに来たのは若いアメリカ人で、日本におけるいけ花の現況について、ユーモアを交えながらかなり戟艇なことも書いている。いけ花に対する的外れな評言は措くとして、概説に書かれたことについて考えてみるべき部分もある。現在、いけ花は過去の一時期とくらべて、入門者の数は半減とは行かないまでも、かなり減少していることは確かであり、それは日本いけばな芸術協会の会報にも書かれている通りである。だがそれは本当の意味で減少なのだろうか。私は一時期異常に増加した花道人口がおさまるべき数に戻りつつあるのだと思っている。需給の関係から云えば、戦後三十年の間に花道に対する大きな需要に対する供給者側の態勢が整った時点でブームは去っていたのである。デイスカパリーにも言及されていたように、いけ花は嫁入道具の一つとされていたのだろうか。そうであったとしても、おそらくそれは明治以後の現象であり、江戸時代には入門者の殆どが男だった筈である。又嫁入道具の一つであったにしても、お茶、お花を習いに通わされたのはごく一部の有閑階級の聞のことで、私の母や祖母の時代の女性の話を聞くと実際にそうであったことがよくわかる。ところが現在私の流儀に入門しようとする人は、親に習わされる、というのではなく、自分自身の意志と経済でいけ花を選ぶ人ばかりで、江戸時代の男性の選択に近付いているのは大変喜ばしいことである。このいけ花特集に、フラワーアレインジメントといけ花の関係についても書かれていたが、両者の花を介してのあり方は異質性の深い存在で、いけ花は人聞の植物を通じての自然観の表明であり、フラワーアレインジメントは花を使ったすぐれた装飾ということができる。この二つはお互に近寄ることはできるが所詮異質なものとして離れざるを得ないもののように思っている。私には少々難しすぎる単語が並んでいるので詳細に紹介した上で解説することはできないが、読んだ上で日頃考えていることの一端を述べてみた。私のプロフィルは、銀髪の、静かな自の家元と書かれていて、ポートレートも中々良い。日本の家元はあと少しの善意の宣伝と、人間的魅力があれば良いのにと結ぼれていた。3

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