10月号
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~ いけばなは植物を材料に使って形をつくり、その中に自然にある以上の美しい姿や感じをつくることであります。いけばなの形の中に「美」をつくりだすことであります。植物という言葉の中には、ひろい範囲があります。花の咲いた美しい草や木、梅や桜や椿の様に木に花の咲く喬木こでまり、つつじ、うのはな、の様に、短い木質の潅木(かんほく)類。草花の中に和種洋種の花、水草類。また、木の葉、草の葉の材料、実の風雅さを鑑貨するもの、山野に自生する草木類。四季を通じて大変多くの種類があ美を知ること美を作ること',lt(きようほく)類、雪柳、るわけですが、これら自然の中に見ることのできる花葉や実のあるもヽの、或はすでに花季を過ぎて枯れ木枯れ葉となったもの、こんなに考えてきますと、四季を通じて随分多くの種類の植物が、いけばな材料として用いられております。これらの中から、私逹が選び出す花材の美しいものを花瓶に入れて、いけばなを作ることになるわけでありますが、出来上ったいけばなの作品には、自然のままの材料(素材)を更にもつと美しく、もつと形よく作り上げることが大切でありまして、これがいけばなの目的でもあります。美しいものを作るためには、「美に対して正しい理解をもたねばなりません。優れた「美」を美しいと感じる、その知識教養が基礎として必\ れ'-..9ヽヽ\、要なことはいうまでもありません。ほんとうの美しいものを理解するのでなくては、自分の作るものに美しいものが作れるはずはありません。勿論、美術教育というものがあって`一般教育によっても一応は易につけているわけでありますが、いけばなという芸術を作る上に、基礎として、「正しい美術の理解者」であることがなにより望ましいことであります。私逹は美しいいけばなを作ろうとするのでありますから、それには「何が、どれが美しいか」を知ることが、基礎として必要なことはいうまでもありません。皆さんはすでに学校生活から離れていらっしやる方が多いと思います。しかし、美術を研究しようとする知識や態度は、家庭生活に入ってA も、日常のいろいろな環燒の111でも、とり人れることが允分にできると思います。ことに、芸術を理筋することは、あくまで自分個人の努力によつて、すすめることのできる性釘のものでありまして、学校教育を離れて、それから出発しても充分、成し得るものであると思います。ものを見る目、ものを知る知識は年令の高下にかかわらず、発展することのできる性打のものであります。お話のはじめにむづかしい関題をもち出しましたが、私のここで希望しますことは、いけばなをつくりつつ、いつも周辺にある美しいものに対して注意をもつことが必要であり、高いクラスの「美」をよく理解したいと思つのであります。そして、その美しいものをいけばなをつくる上に利用して行きたいと思つのであります。茶の間で見るカラーテレビの色彩は、私達のいけばなに応用することができますし、そC色彩をつくり出そうとする舞台作家の工夫は、そのまま、ところを変えて、いけばなに応用することもできます。刷物の色彩、服装の美しさも、そのままいけばなに応用することができます。要するに、美しいものをよく理解して、私達のいけばなは、高度な美美しい印しさをもつ作品とすることが人切であると息います。「美」を止しく理鮒し、夏にいけばなの上にその美しさをあらわす様にしたいものです。これには、ものの見力を正しくすることが最も必要であり、つまらないものを見て感心したり、ほんとうのよいものが即解できない様では向上いたしません。いけばなというものは、こんなに作るものだ、という様な形式的なとらわれ方をしないで、もつとおおらかに、このいけばなは美しいか、趣味のよい作品かという様に、批判的に考えて、n分の作品であろうと、人の活けた花であろうと、おのれと心の中で批判研究することが。正しい狸解への始まりとなります。そして、この考え方は最初から、いけばなが卜逹する最終まで、常につきまとつて必要とする重要なことでもあります。禎い竹箇に挿したすすきと萩の投入れの中には、そぽくな自然の美しさがあり、これは、祥閲の華麗さに優るほどの美しさがあります。また、反対に、ガラス器に入れた大輪咲ダリアの美しさに、新しい感覚の美を見ことるができます。枯淡の美しさ、けんらんの美しさ、新鮮にして明るい花の美しさ、いろいろな場而をかえて、美しいものを作り出すことができますが、これは要するに作者の... 4 I‘, \ ' を,汀」、花材すすきトルコキキョウN';ー‘

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