テキスト2012
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内Jq〆’言号一\\さささ一ハctsyω「ちょうようやよい采川山寺催怖いけばなテキスト別口守Mm年4川iu発行(何川l川l円発行)桑原寺院涜B添一江発行定価五二五円m−ωmwコ一ハの一・のOヨ十ヒ+J1日9’n行 赤色木の葉文花瓶八円比一μの花〉「六日の菖紺」、「卜日の菊」という言葉、がある。冗月五円は「端午の節句」。花菖蒲をいけて飾った。六日になってからいける人はいなかった。九月九日は「重陽の節句」。菊を飾った。十日になってからでは季節はずれの野暮だったのである。明治時代、暦が変わってから季節がずれて旧暦の一二月は内月に、旧暦の九月は卜汀にずれこんでしまった。節句の行事を旧暦で祝っている人も居たが、その方が花の季節には合っているのである。巾凶のお正月のお祝いは旧暦でやっている。神戸や横浜の小培街では未だに二月の上旬にお祝いしている。そして私達のいける花も、花巴蒲はじハ片が最盛期、菊も今の九月は秋らしい旬の錦、が揃わない。今月は桜の季節だが、以前は旧暦の弥生二一月が、その花見時だったのである。今の新暦の時代、川暦で古典にあらわれる月々の風物を類推するのは面倒だが、知っておく方がよさそうではある。でもケンチャンの世代には今よりもっと旧暦とは縁遠くなっているだろう。花材ドラセナ・コンシンナカーネーション仙粛彩歳むいかとおか仙清

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