テキスト2011
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。4花菖蒲と野花菖蒲仙粛一十年以上北川、P寸いほ(家の作俊夫さんに、花背峠の奥の方の池に七月頃に野花一高蒲が咲いていると聞いたので出掛けてみたが、どの道をどう行けばいいのか詳しく聞かずに行ったので池を見付けそこなってしまった野花菖精の花の色は少し赤みがかった紫色の古代紫、上品な色である。朝日百科「世界の植物」にその写真がのせられているが、しっかり色校正されているので、その色は信頼できる。この原種から現在五OO種もの花同蒲が作り出されているそうで、私達がいけているのはそのごく一部にすぎないと思う。日本の花升阿芸は地方によってその好み、或いは特色が出ている。花高浦では江一円’花店浦、これは現在まで百荷凶が続けられている堀切が中心になって作り続けられた品種群。肥川径佐川向蒲は肥後落Eの細川候が山入りの柏木町慌に作らせた品種群で、これには城下の庶民も加わって発展した。伊家化首請は紀州藩士の吉井定五郎という人が伊勢の松阪辺の野花菖蒲を実生から作り出した品種だそ、つである。作例に用いたのは江戸花菖蒲の濃紫花と白花の二色指し七体の生花だが六月は川府の五川にあたり、方々の菖蒲闘が見頃になる。6

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