テキスト2011
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「川市〈主己桑原専慶流いけばなテキスト日号2011年4月l日発行(毎月l回l日発行)桑原専慶流家元発行定価五二五円一三石一\\ささ〈〈・}内戸、一名目凶}足「∞ωぬコwo−−のOヨ仙粛彩歳この頁の原稿を汗きはじめた日、東北関東に大地震が起が押しょせた。小学校一年の六月、神一戸を室一戸台風が襲った。海岸近くに建っていたソコニ!という石油会社は風でつぶれてペシャンコになっていたし、木造の校舎が潰れて児童が下敷きになってしまったりした。五年生のときには大水害があった。大本と上石流。長雨のため六中山からものすごい勢いで押し流されてきた土砂。南北の通りは激流。道に張ったロlプを伝って消防団の人が下校する私達をかかえて渡してくれた。友達の祖母が一週間ぐらいあとで埠まった家の残骸から帰り山されるのを見た。中学校四年生では神戸も大空襲にあった。私は海軍にいたので家、そして街の焼きつくされるのを見なかったが、復員してきたら家の焼け跡には父のゴルフのクラブの曲がったのと、鉄の五右衛門風呂だけが残っていた。一九問五年のこと。そのため京都に引越してきた。父が亡くなった後、東福寺山内の広い家で一人で暮らしていた母は「もうこんなに手のかかる広い家に住んでるのは嫌と言って神戸に移った。そして十五年ほど前の神戸淡路大地震。私と家一応が丙宮北Uから多いて神戸の母の家まで様子を見に行った。」り、大津波途中芦屋のあたりで、京都の駅弁屋の萩の屋が折詰め弁吋を配っていたのを頂いた。あの有難みは忘れられない。災芹地の広い同道は通れたが六角通や室町通くらいの幅の道路は両側から倒れかかった目訴にふさがれて通れなかった。それでも神戸は問度の大災害から見事に復興している。関東大震災の頃は私の生まれる前の出来事、まして江戸時代の大災害は歴史上の大事件であるだが今度の地震と津波はその刻々の惨状がテレビで報道された。地震で土台のゆるんだ家が寄せてくる津波に押し流され、引いて行く津波に引きつられて海に落ちてゆく光呆。ああ怖いと思うだけでテレビの前に借り続けているだけだった被災地は東北地方から関東の北部までしハ00キロにも及んでいる。大阪から東京までの距離。新幹線で東京まで行くとしたら、その定り続ける車窓の風景全部が津波にされわれた街並みになっているのである。被災地はこの後どうなるのだろう。日本も度々の天災。空襲や火災などの人災に何度も見舞われてきたが力強く立ち此ってきている。そんな歴史しか思いつかない。花材卜人輪ラナンキユラス(金鳳花科)アンスリュlム(県下科)淡青色柚花瓶ロ頁の花花器F{山所長周司

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