テキスト2011
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h川ノ初代桑原冨春軒仙渓桑原専慶流のいけばな(花展会場パネルより)江戸時代前期の貞享i元禄(一六八四i一七O四)ごろに活躍した立花の家元。当時、ボ都しハ条本願寺に仕え、花道の達人として有名であった。貞占千百年に著した『立花時勢杭』は三円余年を経た現在に至るまで、いけばなに大きな影響をあたえている。「紅葉一色」立花時勢粧よりりつかいまようすがた書で、貞亨五年(一六八八年)に八間本として刊行された。具、立花の作意や技巧理論を述べた品凶による花形解説の『時勢粧』三附から成る。あらゆる状態を深く観察して、それを立花にとり入れることについて、それまでにない自由な解釈と万法を試みている。例えば人の子を養うて孜がfと見るように青てる心をもって指すべしと云えり。ざれば鎌倉の柏樹に熊野の晒木。その生所万里へだつといえど瓶卜に立て合わするに体用和介して一本の呆気をなす。これ立花の妙にあらずや。初心巧者によらずこのさかいをよくよく工夫して上手になるべし。花道の楽とするところこれより外はなし。」秘侍抄之一「常磐木の部」より立花時勢粧冨春軒仙渓が著した立花の伝草木の出生、立花の技法と道『立花秘停抄』五冊と、植物の白然にある形、出牛しの「ぷ口晒木をつかうに門いあり。「牡丹は花王という名を員び、高位高宵の御店にて宗匠の外門弟の指すことを許さず。古代は花大切なるゆえ本を銭して茎より切り、筒に入れ、胴に用いて詰副に使わず。誠に立花の道理さもあるべきことなり。然れども近代、心請添に用いるは世上沢山にて時相応なるべし。」立花秘侍抄之一→「花の部」より「つやと一五うは幹太く、こわごわしき物には美花美葉のやわらかなる物を外よりそえ、文は内よりたよらせて立つる時は、するどなるものも柔らかに見え、けやけきものも賎しからず見ゆるなり。これ立花第一の教えな。あしらいと云うは葉のなきものには葉ある物を取合、丸きものには細きもの、特きものには重き物、かたきものには柔らかなる物、勢いたる物にはなびきたる物、位ぐなる物には曲がりたるもの、乙の外あまたあるべし。」立花秘博抄之二「花の部」よりIt. 唱宮& 作11

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