テキスト2009
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』仰用心.んどかいわい向ョ葵赤まんまカラジウムI L ~· . 、巴ん仙古川周彩歳そろそろ、大文字。先月の十七Hの祇同祭から一片円である。その一月の聞にも京都では色々な年中行事が並んでいる。何しろ千二百年もの聞この都市に人が住み続けてきたのだから、お祭りが多くなるのが当たり前だろう。私の住んでいる骨屋町(六角通烏丸西入)からは浄妙山が出る。平家物語に山てくる宇治川合戦の一場而を人ノ彰乞組み合わせて演出している宇治椅の上を一番乗りしようと駆ける筒井浄妙坊の頭の上を、後ろから走ってきた一来法師が飛び越えて先陣をとる瞬間である。浄妙山の本体の浄妙坊の人形の芯材は二股になった天然木がそのまま使われている。何時頃その芯材が作られたのか知らないが、江戸時代のものだろう。その芯材に衣裳を着せ、その上に鎧をつけるのだが、室町時代や元禄時代と作られた年代がそえられている。私は長い間浄妙さんの着付係をやってきた。そして十七日の山鉾巡行にも加わってきたが、此頃は、家元と健一郎が代わってくれている。朝、九時に町内を出発し、烏丸通を南下して四条通を東へ、河原町通を北行して御池通を阿へ。町内に帰。りつくのは午後一時を過ぎる。梅雨明けきらない七月十七日、辛度い四時間の巡行である。この辛度い四時間、そして六月からはじまる準備を中世から支え続けてきたのが室町界隈の町衆である。私の次に家元が加わり、健一郎も物心つく頃からこの祇附祭を比つめてきている。それが京都なのである。~喫r

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