テキスト2009
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『計hH議型旅市市尺・中ん棒UF、’UKの予は思い思いの本着だっ仙驚彩歳ケンチャンとジユンクンも、もうすぐ夏休みである。夏休みを待ち伐ぴる気持はね払の子供の頃とちっとも変わらない。その頃夏休みは八月一日から三十一日まで。一月間学校へ行かなくてもいいのである。今度の夏休みは何をしよう、どこへ連れて行ってもらえるのか、休み前の七月は、したい事で心が一杯になる月だった。学校も半ドンだった。午前中で終わるのである。そして一日おきぐらいに水泳の時間があった。魚崎(現存の神戸市東灘区)の浜で泳がせてもらえるのだが、男の子は木綿の六たが、とにかく勉強させられているよりいいにきまっている。一学期の終わりはー理体でしめくくり。遠泳と云っても住吉川の川口から魚崎の浜の東端まで。直線距離にして五百旬、沖へ少し山るので多分一キロぐらい泳ぐだけなのだが低学年のうちは入れてもらえない。五年生か六年生になると体刈のありそうな子だけ参茄させてもらえる。一クラス五十人のうち、出してもらえるのは十人以下だった。先生は和船の上で三人ほど、一人は格を潜ぎ、二人は太鼓を叩いて皆のぺlスをとる。用心のため一緒に泳いでくれている先生が五、六人。途中で泳げなくなった子は先生が船に引き上げてくれる。遠泳がすむと、七月一二十一日が一期の終f式、通知商一川と宿題を波されて、いよいよ夏休み。五月頃から十日間ほど毎年祖父のれ浜の別荘で過ごした。家の番をしていてくれたのは真鍋さんという人だった。素滑りの名人で色んな4を教えてくれた。男前ではないが東郷元帥のような風貌で威厳のある無口な老人だった。その息子さんとて人で、よく滑り漁につれて行ってもらったが、伊勢海老が、かすかな声で暗くのを聞かせてもらったり、うつぼが岩穴から顔手」出しているのも見せてもらった。明は知大きに述れて行ってくれた。海底に空になったHハ殺が散らばっている。蛸が食べたあとで、その真中辺に蛸が居るのだそうである。ほパ鍋さんは一突きで見事に捉える。母は真鍋さんと太万魚の夜釣に出掛けたりしていた。静かに凪いだ川夜に太刀魚を釣り上げると、本当に研ぎ澄ました刀のようで、「あんな給麗な釣りは始めて」と云っていた僕たちも行きたかったのだが、昼間の疲れで夕食がすむとすぐ寝てしまうので太刀魚釣は経験できなかった。ケンチャンとジユンクンは、この夏、何を目論んでいるのだろう。中乍ルんになったケンチャンはバスケットボールの練習。ジユンクンは勉強ー。。

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