テキスト2009
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4「J、Chdしい30けた花からかもし出される雰問10 ’ν 色と形。私はどちらかと云えば、青い紫陽花とアンスリュlム。このとり合わせは前にもテキストにのせている。好きなとり合わせの一つである。とり合わせという言葉は色んなものに使われる。辞書には「いくつかのものを組み合わせて、調和のある物を作る」と説明されている。何でも組み合わせればいいということではない。花でも、何か一輪いけてみたい場合でも花器はどれにしようか考える。一輪挿は難しいことは難しいが、何種類かの花をとり合わせる場合、多分主になる花を決めるだろう。そして、それに何をとり合わせるか考えなければならない。そこから配色、花型、自然調なら季節感、その上その花の和洋も合わせたい。配色だけきまるものではないし、形がととのっていればよいというわけでは気にいけた人の気持ちが映し出されるのである。一枝、一輪、一枚の業も丁寧に形を整えなくてはならな色調にこだわる方である。そのせいか好きな取り合わせでいけても、あまり良い格好にならないことがある。反対に形にこだわる人のいけば仙粛彩歳なは、形はよくても、配色に難点が出ることがある。花には色と形がある。それぞれに美しい。美しくない花はない。だがとり合わせによって、折角選んだ花もあまり美しく見えないようになってしまう。形のない色もないし、色のない形というものも考えられない。色と形を同調させるのが、その人のいけばなの技量なのである。同じことは身のまわりについても云えることである。高級なブランド品を若たってちっともよく見えないことがある。それは服に着られているのである。本人がしっかりした感覚を培っていれば良い服が一層良く見えるようになる。「馬子にも衣裳」という言葉がある。あれは嘘だと思う。すぐれた馬子が、ちゃんとした馬子の装束を身につけていれば、その人柄は人に通じるのである。高級なブランド物が馬子の人柄をひき立てはしない。花をいけることは難しいのか易しいのか、それはよくわからない。だが私にもたまにいい花がいけられることがある。日分でも良いと思うし凡てドさった方も「いいですね」とほめて下さる。そんな花をいけられた時をふり返ってみると、あまり考えすぎてはいないようである。ごく自然に、素直にとり合わせをえらび、無心にいけているようである。

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