テキスト2009
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京都と新緑四月初旬に繋が芽生え始め、花も咲かせた庭の板尾楓はもう小さな浅緑色の実ができかけている。京都の町屋の庭には落葉樹は少ないようである。小造りな中庭、そして成込町えのきつい庭に柏木立が枝をひろげていると、寒さが一層身にこたえるからだろうか。その上落葉した後の掃除も大変手聞がかかるので中庭向きではないのだろう。小京の町家の並びは、通りには総は少ない。それでも表庭のある家だと、七分の板塀、上が緊楽壁の瓦の上から庭木の緑がのぞいている。大体大きな荒物問尾さんの屑宅だったのだがいいものである。もう昔の下分ぐらいになってしまったのだろう。でも昔ながらの町家の中庭には、外からは見えないが手入れの行き届いた柏木がしっかり小さな空間の緑を満たしている。古くからの京都文化、その文化には宮廷の芸術も大切な役割をはたしてきたが、それより大きな支えになったのは町家の暮らしではなかったのかと思う。その町家暮らしの中から様々な分棲子野の工芸品、現在伝統工芸とよばれているが、その間取りは左の図のレイアウトが基本になっているのではないだろうか。通りに面した店の問、巾の問、奥の間と縦に部屋がH撃さ、奥の問と蔵のあいだに巾庭がある。中ム爪の町の一一区間は大体行江川方に分けられている。私の家は六角通にあるが、烏丸通から室町通までの東丙は百はぐらい。その北側の通りに卜二s軒の家が建っている。間口は平均七・五はぐらいになる。そして奥什三十はほどの細長い鰻の寝床などと呼ばれる家がぎっしり立ち並んでいる。商屋ばかりなので通りに面した場所を庭にするのは損なレイアウトなので四季と嬢するのは、奥の問の奥にしつらえた中庭ということになる。私の家の周阿には緑地は殆どない。だが家の奥の中庭、ほんとに小さなプライベートな空間だが、京都人が長い年月息をつまらせずに住んできたのは中庭のお陰なのである。この庭の板屋楓に花屋で買った均薬とアスチルベのとり合わせも、そんな日々の一こまなのである。~可t f守、1制9

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