テキスト2009
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B14さささげさんょうかいニュlオlリンズと椴仙粛燦陽会燦陽会は、私と家元が担当している。時々私が山られないときには父に代わってもらっている。九月は父に代わってもらったら椴と鶏頭をとり令わせた投入を選んでくれた。椴は日本には自生していなかった木で、八世紀頃、中国から渡来したと考えられている。花は6月に咲き、実が熟するのは中秋以後。まだ実に緑色が残っているときよりも濃茶色になる晩秋に使いたい花材である。従ってとり合わせる花も秋草を選びたいのだが、堅くてしっかりした枝の椴には、可愛い花は合わないようである。大型の鶏頭などがよさそ、つに回?っ。重い枝なので重量のバランスを考えながら花型を考、えるo花器三十年以上前のことだが、大阪で私達のグループ展で、椴と鶏頭の大型の花をいけたことがあった。テーマはたしか「文人清趣一だったと思う。そのテlマに関する顧問役としてデイヴイツド・キッドとい、つアメリカ人が居た。彼は戦前の中国で暮らし、中国の文物(文化)を大変愛鶏頭ミリオクラダス円黒紬花瓶きささげ棲子していて、中国の文人についても広い知見を持っていた。その彼が、ねの椴と鶏頭の大きないけばなを見て「これは、まさにニュlオlリンズ」と云った。何故このいけばながニュlオ!リンズ風なのか。しばらくたってから椴のことを調べているうちに、椴は二億五千年ほど昔、地球とはゴンドワナ大陸という一つの超大出十大際だったのが、ユーラシア、アフリカ、アメリカ、オーストラリアなどの大陸に分裂した頃の樹木で、分裂によって中国とアメリカ東部に隔離して分布することになった植物なのだそうである。植物に限らず、動物も二億五千年もの昔、大陸の分裂以来、大洋をへだてて分かれ分かれに暮らすようになった種族は随分多いのだそうである。キッド氏がニュlオiリンズを想い出した椴というのもアメリカ東南部にも中国にも自生している木だからなのだろう。日本には椴の自生種はなく現在日本に植えられている椴は八世紀頃に巾同から持ち帰られた椴の子孫である。私達は洋花と和花という区別を立てている。古くから親しみをこめて和花と思っている植物でも外来種もかなり多いのである。和花、洋花という区別も、日本人との生活の歴史の長いか、短いかの区別でしかなさそ、つである。E,AY−Aオ献14£Y 10

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