テキスト2009
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びっくりさようてん(第三種郵便物認可年日月お日)桑原専慶流いけば(解説は日頁)仙粛彩歳Fハカセは考えた。赤い蓄積を露草のような鮮やかな青に変身させたい。そのためには露草にあって、蓄十微に存在しない色素合成酵素の遺伝子を蓄積に導入してやる必要がある。荒な科学は勿論なかった。でもそん|中略|ハカセは根気よくこの作業を一歩一歩進めていった。l中略|何年かの後、とうとうFハカセは可憐な蓄積を咲かせることに成功した。花は鮮やかな青色に輝いていた。ハカセは気がつかなかったが、その花はどこから見ても露草そのものだった。』福岡伸一氏の「動的平衡|生命はなぜそこに宿るのか」という本の、二頁「青い菩蔽」|はしがきにかえて、という章の要約である。この本で私が一番好きな一節である。一方十六世紀の中国の宋では、各地で色んな均薬を咲かせていた。その時代、王観という人が冒頭に、天地(自然)のなす業はすこぶる大であり、また霊妙である。人力などではそれを盗んでのりこえようとしても到底できるものではない。ー中時もはや人力を加える余地など少しもないと思われているのであるが、決してそうではない。というのは天地には元来すき間があり、天地のなす業にも限界といλJものがあるからである。(揚州均薬譜)素朴でのんびりした自然観ではあるが、人々が天地のすき間を手探りで見付け、色んな均薬を作り出すのであると云っている。バイオテクノロジーなどという手な時代に作られた新種の均薬は現代まで栽培され続け、私達が初夏からいける苅4楽達もその子孫なのである。時々、中国の奥地で暮らす人々の生活を取材したTVが放映されている。傾斜地の棚田に稲や麦、野菜を作り、文字通り自給自足の生活。重労働の日々だろうが楽しそうに暮らしている。子供達も一生ここで、この生活を続けたいと云っている。いい生活だと思う。「足るを知る」ということなのだろう。羨ましいような暮らしだと思うが、私にはそんな所で暮らせないことは、よく承知している。毎日変わり映えもしない食事、年に一度ぐらいやってくるチベットの旅まわりの芝居とお祭り。京都の真中に住む私達は、十分ほど歩けば色んな映画が見られるし、好きな献立も整えることができる。そんな現代の暮らしを千年前の人が見たら吃驚仰天するだろう。その千年前の人の日々を、もう千年昔の人が知ったら同じように吃驚仰天するに違いない。今の私達は幸せになったのだろうか。二千年昔の人と同じ不満感と充足感で暮らしている。『

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