テキスト2008
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FFF匂一\\者考委・}内「−gm同『石町山印(第三種郵便物認可1985年日月お口)桑原市守慶流いけばなテキスト同号2008年8月1日発行(毎月l同l日発行)桑原寺山底流家元発行仙粛彩歳字は稽古しなければ、と心がけてはいるのだが、ちっとも良い字が書けるようにならない。やはり持段からきちんと工寧に書く癖をつけておかなければならないのだろう。先代(十三世専渓)は稽十日が終わった後、一人一人に、その日のいけばなの絵を描いて渡していたそうだ。左の下は、開和卜九年のもので、落葉松と透百合の投入の絵にそ、えられている。六ト作ぐらいたまると和綴じにしてその人に上げていた。稽占のあとの絵にそえる牢’なので先代にしてみれば普段の字なのだろうが私には書けそうにない。恥の父はスポーツマンだったが、やはり、字の一つのポイントから次のポイントへ移る時の的確なスピード感があるいい字だった。好きだったのは母の字である。上品な流麗さがあって、その上わかりやすかった。従姉妹速は下本にしていたが、そこからはじめても、中々その人の字にはなってゆかないもののよ、つである。私の習字歴は小学校だけである。五、六年生の受持の先生は、ふ宿っか酔よいのHの午前中、−一時間ぐらい習字の習だった。三十頁ほどの手本帖の一頁から始めて三重丸をもらうと次の打に進めるのである。.一.重九をもら定制五二五円えるのは一劃一劃の筆使いが正しくなければならない。例えば簡単な「この字でも左からの筆の入り方、点ん巾辺は怪くhHを抜き、右端での筆の留め−Mも決まっている。偏と・芳のバランス、中々三重丸はもらえないのである。だがねの習字歴はそこまで次に毛筆で字を書きはじめたのは点子と結絡して、この仕手には毛乍で下を占かなくてはならない宇が多くなりそうだと気付いてからのことであるだが例ぷした先代のような年季の入った字が書けるわけではない。昔の人の字で戚ザ心するのは大福帳の字である。手慣れた乍法で、誰が凡てもわかるように苦かれている。読むことのできない草書の名筆より、私は好きなのである。大福帳といえば、十六世紀のオランダの東印度会社から、本同の本店への送り状、送る中凶陶持の明細書なのだが、本当に締麗に手書きされている。それとくらべると、現代の欧米人の下hきの字は全くの金釘流である所々しか読めないのさえある。欧米の警察小説で警官の報告書だが「お前の報全く読めないから、目の前で話してくれ」と上司に云われる場面がよくある。私も下手ながら、せめてわかるように、できれば気持ちよく読んでもらえるように書ければと思っている。(この戸、投入の解説は川れへ)m山口wo−−notHEはytれみ長為法、,伝ヨn

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