テキスト2008
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MUうっせみ(第三種郵便物認可1985年U月お日)桑原専度流いけばなテキスト矧号2008年7月1日発行(毎月I凶1日発行)桑原専慶流家元発行さざなみぴわうみ仙驚彩歳正面の赤いて輪は仙’A翁尻−q。色の濃い方は松本仙翁、淡い卜刀が節黒仙翁で、枯葉の問の緑色のは片付の実である。只吋はuT存に花が咲いて、六、じ月頃に実ができるが、実をいけたのは初めてのことである。左に長くのばしたのは鳴子百合だが、円斑入りの闘芸品種より、ずっと大きい。十年前に出版した出辺聖子さんとの「源氏拾花春秋」の第十六帖「関出」に閃んでいけた仙翁について、私はこんなことを書いている。「都を東国に向かって旅立ち、山科を過ぎると、道は逢坂のゆるい峠道にかかる。北側は逢坂山、南側は音羽山の高い斜面に挟まれ、椎などの照葉樹の茂る日陰道である。そして峠の近江の国との境に逢坂の関があった。このあたりには七川から卜月にかけて山地の半日陰に節黒仙翁が咲いていて途坂草ともよばれていた。逢坂の関から坂道を少し下ると漣の琵琶の湖のきらきら光る水面が目の前に広がる。源氏はこのあたりで空蝉に再会したそ、つである。私達の若い頃、よく琵琶湖へヨットに乗りに行った。そしてここま定価五・五円}ニ吾一\\者名者−一内cd〈ω2一三Oγぐらいまで仰び、葉は一.十amヅナ−hA円は本山川中部以阿に広く分五γもでくると、今日はいい風が吹いているかなと湖面のヨットの定り共合を期待しながら見下ろしていた。それは今でも通る度に思い出す息達の逢坂越えである。日(母は日本の野草だと思っていたが、柴山羊として中間から導入した花で編笠百合とも云う。日本古来の目ハほは越の小川母とか蚕小川ハ母とか、種名の上に「小」がついている。布しているので、京都近辺でも、よく注意していれば出合える野草である。斑入りの切り花品種よりも、かなり大きく、長さは八十γぐなる。更に大きい大鳴子百合の茎はある。作例に使った鳴子百合は鉢植えだったが八Oγほどもあって短く切っていけるのが勿体ないような気のする花だった。貝町の実をいけたのはいいが写真ではよくわからないと思うので牧野市太郎先生の「増訂草木図説・平部」の貝母の実の絵をそえた。2・h凶的。らいに4コ}内空・のOヨ

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