テキスト2008
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りつかいまようすがた花と味と器機子ついこの間、庭の山茶花に積もった寸に見入っていたのに、もうこんなに明るく翠の透き通ったガラス花瓶にクレマチスをいけたくなる四月になった。クレマチスは種類が多い。日本に背から内生している「胤卓」。これは奈良県に今でも野生している。「鉄線」は室町時代に巾問から渡米した。中同では「鉄線注」とよばれまてっいたるら。しu本い。に来て蓮を特いてし一方洋種のクレマチスは、南ヨーロッパ原産の青い釣鐘形の花のクレマチスをもとにした園芸品種が十九陛紀から作られはじめ、その後シlボルトが日本から持ち削った風車や巾向原産の鉄線連などとのし父配が進み、現在の私達がいけているクレマチスが出来上がった。だがヨーロッパ原産系の釣鐘形の品種よりも、円本、中国系の六弁や八弁のクレマチスの万が美しいと思う。実際にベル鉄線は地味な感じである。とり介わせは、て色のクレマチスがあれば、あとは、あっさりとした葉物で良いと思う。それよりも花器の色と形を考えたい。この緑色のガラス器は、料理写真の大家、佐伯義勝先生のコレクションの中から頂いたものの.つである。hワインのデキヤンタだそうだドレヴゐ。ドョ私はよく、花をいけるのと料理をが、よく冷えたのを入れて飲めば、それほど上等のワインでなくても、おいしく飲めて、快く酔えそうな感作るときの気持が相通じていると感どちらも、もてなす心、というか、共に料理や、いけられた花を前にして芹い心地のひとときでありたいと願う。美しく咲いて、ほのかに香る花、手際よく作られて、箸をとらずにいられなくなるような一血。人は利害関係の話なんかは忘れてしまうよ、つなひととき。料理もいけばなも一人よがりのものであってはいけない。口分がいいと思うものでも、必ずしも人に満足してもらえるとは限らない。絵や彫刻なら、たとえ一人よがりの作品であっても、百年、二百年、或いは三千年たっても、その良さはそのまま残せるかもしれないが、いけばなや料理は、その日、その日に作って共に見つめ什い、味わい令うものなのである。或いはその花の絵Mゃいけ万、その料理の作り点は伝書として残す予」とはできるが・・・。私の家にも初代の遺した三百二十年前の「立花時勢粧」という伝書がある。そこに書かれた気持は大切に受け継いではいるが、当時の京都の人々とは同じ持らしをしていない。色んな事を思い巡らしている。3

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