テキスト2008
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}己石一\\名君主WCJ司包}HmwE印ゆロwmwF(第三種郵便物認可1985年日月おH)桑原存度流いけばなテキスト却号2008年3片l日発行(毎月l回1日発行)桑原専凌流家元発行仙粛彩歳京都新聞は毎週「もくよう版」という八頁のタブロイド版の別冊がくる。その第一面に、絵本作家の、水田蔚さんが、「花ときどき風」という随筆を書いてらっしゃる。此頃その文章が好きになっている。今日は「ふきたんぽぽといっしょに」というお話で「今朝は五つも花が咲いていた」、園芸店にもあまり売っていない花なので毎年向んつけたらきまった植木鉢に植えかえて苔を敷きつめて咲くのを待ってらっしゃるらしい。そうするのが「季節ごとの自分との約束事」なのだそうである。優しく美しい約束事である。いけばなにも色々な約束事がある。例えば生花では初冬の水仙を真、副、留の三体で花は葉よりも低くいける。そして季節が進むに従って花は葉よりも高くいけ、雪折葉をまじえて五体、七体。或いは株分け挿などもいけるようになる。これは昔の人、多分江戸時代の誰かが水仙を、初冬から早春への生態の観持T乞丁寧に見つめ続け、それを十二月、一月、二月といけ分ける手掛かりにし、初期、中期、盛期と花型で示すようになった。人々は成る程と思うようになって水仙の約束事が認められるようになったのである。永田蔚さんの約束事は自分自身、或いは自分だけの約束事だが、生花定価瓦二五円・三粛タイ国原産のレナンテラに濃赤色の花材レナンテラ・コッキネア花器での水仙の約束事は、水仙をいけようとする多くの人々との共通の約束事である。そうしていけられた水仙を見る人は、その花型を見て、もう一一月になったのだと気付かせられる。約束事というのは「きまり」或いは「規里という感じのする面もある。だが、そう窮屈に捉えたくない。永田崩さんのように「ふきたんぽぽ」を待つ気持の方が大切である。「心待ち」で季節の到来、好きなものに逢えることの楽しみが約束事になってゆくのは美しい暮らしである。いけばなの約束事、それは古人の見出した優しい花の姿なのである。約束事はゆるやかに心にしまっておきたい。その約束事が本当にいいものなら、人も大切に見守ってくれるものになるのだと思う。一一月月仙は冷たい。二一月は早春なのだろうか。まだ冬をひきずっているような寒い日もある。青麦というと、まだ畦に雪の残っていそうな感じがする。でももう三月。麦も大きく青々しはじめたので蓄積をとり合わせて、暖かくて明るい部屋に飾る。三月である。葦微青麦白色粕水盤

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