テキスト2008
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寸Mザすす何かを書いたとき「花受仙粛」と署名している。「自又」とは辞書に「年長者」という意味と古かれている。この一月、岡山県本部の原遊泉氏に花号の上に「花受」と冠稿をおつけ下さるようにお願いして、その花札をお贈りした。私が家元を継いだ頃、岡山県本部も脅労の多い時別だった。そんな時代から現在のような組織に立て直して下さった。長年の友として、この度「花型原遊山水」とお名乗下さることになった。雪の美しく降る京都の二月は閑かに過ぎてゆく。郊外に散歩に出かけても人通りは少ない。底冷えの季節なのである。厚着をしていれば、何時間でも歩いていられる。寺町通りを上がって、丸太町通の十円本屋をのぞいたり、御所のベンチに座って々続けの色を眺めているのもいい一刻である。「京の底冷え」は観光客には敬遠されているようである。私は時承ナの静かさが好きなのである。底冷えは曇り口に、ずっしりと重みを増す。気温は山陰や北陸より尚いのに身にじわじわと泌みこむのである。.時北海道出身の人に家点を手伝ってもらっていたが「京都の冬花曳私は家元を十五世に譲ってから、仙粛彩歳ひとと5は嫌、寒さは北海道の方がきついけど、カラッとした冷たさの方がずっといい」そうである。早朝まだ昨日からの雪の降りやまない嵐山。渡月橋から川上を眺めていると、いつの間にか頭に雪が積もる。頭の雪がとけて背筋に流れこむ。「アl、冷たい」と、その辺の店にかけこんで温かいものを畷る。上賀茂神社の雪もいい。素子と共若の「北ふたり」の最初のの上賀茂神社の立て砂の前に立てた栴の占木の立花である。余程の幸運に忠まれないと、あんな写兵はとれない。京都には美しい場所が沢山ある。だが、季と天候によって良くもなりそれほどでもなくなる。よく人に「今度京都へ行こうと思ってるのですが来月ならどこが良いでしょうか」と聞かれる。でも最高を感じるのは偶然の一瞬でしかない。良い出逢いは滅多にないのである。曇り空、今HはO度以下かと感じる桂買い物の往復は冷える。でも帰ってきて明るく暖かい部屋に、こんな花が飾つであると「アl、やっぱり家はいいな」とほっとする。少しだけ季節を先取りした盛花。花材ラッパ水仙ラナンキユラス紺色柏手付花瓶花器μは、告ー暖かみ楼11 子

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