テキスト2007
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かび流枝会3花展一一月十日・十一日倉敷市民会館流枝会は四十数年前、十三世専渓と倉敷の上野淳泉先生の始めた立花の研修会である。最初は小人数で、毎月先代が指導に出向いていたが、先代の没後は上野先生がリーダーをなさっている。今回の出品者は二十五人にふえている。毎月の研修会は、会員各内が花材集めにまわるところから始まる。そしてそれを思い思いの花型にいけ上げて上野先生の橿導を、つける。だから例会が終わると次はどこで何を探してこようかと思案がはじまる。そのせいで地元の自然に詳しくなる。面白い筈である。今回の出品作の花材も倉敷市の周辺だけでなく、北へは鳥取県、南は香川県まで足をのばして集めたり、白宅で育てた花材も使われていた。本当に思い入れのこもった立花展だったのである。この頁の左のスナップ宜首六は、上野先生が山品作の一つ一つを写生しておられるところである。そしてその絵に簡単な説明を書き加えておられたが、横で孫の健一郎が熱心にのぞきこんでいる。お陰で彼は立花の役枝の名前を全部覚え、どんな構成になっているのかもわかったようである。仙駕仙粛彩歳植物と動物地球上の全生物の総重量喜一00とすると、植物がその総重量の九九%を占めるそうである。一体どのような計算で、そんな数字が弾き出されたのか知らないが、私の読んでいる植物学の本には、そう書かれている。その生物全体の一%しか居ない動物のうち、人間はその一%のうちの何分の一が世界の総人口なのだろうか。簡単に考えれば動物の体重一同あたり一00・同の植物が環境として生えているのである。私の体重六O同に対して植物はその斤倍の六トシが共存しているということになり、五十円ムの鼠ならその背後には五同の植物が生えているらしいのである。こんな話は聞いたこともなかった。本は読んでみるべきものである。動物は自分の怪童一の約百倍の植物のお陰で生きていられるのである。息の後の六トノの植物、懲守が毎日供給してくれる酸素、絶えず成長を続けながら動物の基本的食料を与‘えてくれている。だがよく考えてみると私はたった六トンの植物が私の八十年の生である。六トンというと水だと高さ、幅、奥行きともに一・八おの立方体に入る量である。私の家の風呂は満杯にして約三OOUである。風呂の水二O杯分が六ト.ノなのである。AZ謹付させてくれているの庭には沢山の木や草が育っているが、少し大きい椿でも、その重量は平均五十同ぐらいのものだろう。六である。草本類だけにすると六トン分が生きてゆくのはどれぐらいの広さを必要とするのだろう。私(六O同)に対して六ト.ノの植物、それが適正な割合なのかどうかは、知らないが、地球上に生命が芽生えてから三十五億年。陸上に植物が出現したのが凶億年ほど昔。動物はそのあとで陸上に住みはじめた。植物が地上生物としては大先輩であり、動物は先輩をエネルギー源にしながら今日まで繁栄させてもらってきたのである。地球の地表の三分のこは海面だが残りの三分の一の大地である。その大地の上のどれぐらいの割合に緑の植物が育っているのだろう。地球を直径一はほどの球体に見立ててみると、大陸のそれぞれがあまり大きいものでないことがわかる。アマゾン奥地の森林も、うっすら貼りついた徹のようなものにしか見えない筈である。そこではおそらく人間はウイルスぐらいの大ききだろう。雄々しく海の中から陸上に住みついた植物、その植物を頼ってあとから陸地で住めるようになった動物一同は、植物に改めて敬意を示すべきなのである。私一人に六トンの植物では少し心細いとも思う。'lo − 桑原仙渓桑原仙薪トンだと一二O本が私対植物の量なの11

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