テキスト2007
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申ちひ−』せいそんせいはう梅立花平成梅をテlマにした日本画の展覧会が大阪の高島屋で開催され、会期中の三日間私の白梅の立花が飾られた。富岡鉄斎、竹内栖鳳、横山大観、川合玉堂、安田叙彦、前田育制などの近代作家から現代の作家までの梅の絵が集められていた。五十点の梅の絵を一つ一つみていくと、画家が梅をどう捉えているか、梅の何を描こうとしているのかが人それぞれだと気付く。奥村土牛の優しい枝垂れ梅。安田較彦の脱気な者梅。小倉遊亀は数センチの若枝に梅の命を凝縮させている。私の尊敬する小倉遊亀さんは著書「画室の中から」で庭の梅の木を前にして「自然が対手の仕事ですから、何といっても草木に目をとめることが多い。最近この年になって、ます深く触れるような気がするのですが、この梅の枝や幹の魅力にひきこまれたのも二、三年この方でしょうか。僅か二年や三年でそう簡単に神秘の扉は開いてやれないよ、とつきはなされているように思います。」と云っている。右頁の父の梅の生花は、まさにこれが仙薪の心にある梅だなと思う。屈曲した太い幹は狩野山雪の老梅図(メトロポリタン美術館)を思わせる。いける花材の命の重みや尊厳さを感じる心を持っているか。それを形にする技量と決断力が備わっているか。めぐりあった枝とどれだけ対話ができるか。自分に間い直してみるいい機会になった。小倉遊亀さんの「画室の中から」にはこんな文章もある。「ロダンがいったように、向然は深く参入する者にだけその神秘の扉を開く。深く参入するにはただただ理も非もなく、無心に見入ることだ。」花材’円梅水仙五葉松亦椿花器緑紬花器(宇野仁松作)花型立花行の草「梅花の宴」日本両展迎え花一木一草の美しさの不思議さにます仙渓11

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