テキスト2007
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(第−・純郵便物認可1985年日川おけ)桑原作度流いけばなテキスト副号2007年ロバl日発行(似川l川lH先行)品ポ附郎専問版流家正発行仙驚彩歳還暦を迎えた頃だったろうか。十才になったらどんな花がいけられるようになるのか、たのしみにしていた。だが、秋にその年令になることはなっても、それらしい何の徴候もあらわれてこない。その年頃になれば人生について、何程かの達観が得られる筈だと思っていたのに、大中!て遣いだったようである。そんな境地に到るためには、それなりの努力や修行が必笑だったのを忘れていたのである。uTく八卜になってみたかったのに、なってみて自分自身、何と愚かで幼い八十才なのかと恥ずかしくなってしまう。人間一人の長い人生の聞には、物事の感じとり方は、自覚しないうちに変わってゆく。時々、先代(十三世専渓)の若い頃のいけばなから晩年のいけばなを見返している。戦前先代は稽古に通ってくる人にその日のそれぞれのいけ上がりを絵に描いて渡していた。墨で輪郭を描き淡彰乞施したいけばな図なのだがその絵が貯まると、一冊の和綴じの本にして上げていた。自分が稽古に通った何年かの問のいけばなが一冊になって贈られるのである。そしてそんな和綴じの貴重な本を、時々「これはお家元で保存しておかれた定価−h・−五川吉右一\\当者名・一内zt弓何回一MR20コwo−−naノ。方がいいのではないでしょうか」と持って来て下さる万がある。今私の書斎の本棚に十冊ほど並んでいる。その時代に先代の著作した「生花百事集」という、これも和紙で作った和綴じの本がある。いい本である私は生花をその本で栴占した。北本的な生花の構成、季節感の表現、飾り点。J寧に解説されているが、あまり細かいことまでうるさく指.ボしていない。そんな性佑の教川本だったので、型の大切さは身に泌みたが、あまり細かい約点事がSかれてなかったので私の生花は型にはまりこまずにすんだよ、つである。生花は他のいけばなとくらべるとその構成は大変シンプルなものである。それだけに個々の形への成広見、或いは好みがはっきり表れてくる。先代の=下代の「生花百事集」と七十代に著作した「専渓生花百事」とをくらべてみると、同じ花材を同じ花型にいけていても、いけ上げられたときの表情は、かなり異なっている。見ていると、ひょいとつつかえ棒をはずされたよ、つな感じを、つけ、るが、「これでもいいのだよ」と云われているようでもある。年令と仲良く一緒に歩んでいたのである。花材ハエマンサスι当柳紅葉花器金縁赤・茂花瓶OBハエマンサス仙菊

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