テキスト2007
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eみべんがろば『】門門刀一\\宅建〈〈・一内(第三種郵便物認可八OUチ、翼をひろげると一一江近く、熊鷹社鵠草この杜鵠草は、鉢にクマタカホトトギスという札がついていた。多分熊鷹とい、っ意味、だと尽っ。だが熊騰は鷲鷹日の猛禽類で、体長は背面は暗褐色、腹面は白地に茶色の縞模様。日本から東南アジア、インドにかけて住んでいる。鳥類は勿論のこと、兎も常食にしているらしい。能…鷹眼という言葉もあり、餌を1985年日月お口)桑原専慶流いけばなテキスト却号求めて大空を舞っているときの目付は鋭い。だが杜鵠草の一種のこのかわいい花に何故こんな名前がつけられたのだろう。O」と名付けられることが多い。例えば熊蝉、熊蜂、熊樫、熊鼠等がそうである。し大きいだけなのに熊鷹杜鴇草という命名は、つけ入れにくい。枝川通より大きい動植物に「熊Oこの杜鵠草も他の杜鵠草よりは少ザみがしね2007年凶月l口発行(毎月I凶1日発行)桑原専度流家元発行仙驚彩歳植物名には附に落ちない名前もある。時々テキストに書いているが、例えば「トルコ精便」。原・廷地はアメリカで、おまけに枯梗科の草花ではなく、り龍んν脆57科の花である。能…鷹社路早にとり合わせたのは小型の菩磁の実である。花瓶はT品の飾りのついた銅器である。好きな花瓶の一つだが、あまり使っていない。下の絵は「清明上河図」という北宋の都開封の街の様子を描いた絵巻物の一部である。長い絵悲拐で縦を一一下五γとすると、長さは卜五はぐらいになる中間の岡常的な絵であるらしい。宋時代(卜1十三附紀)は商業が飛躍的に発展した時期で、その様子がこの絵でよくわかる。①の絵は開封の街の中を流れる下河で、中国各地から貨物や旅客を運んできた船が画中に二十五佳洋坦さこまれている。そのうちの一隻が橋にひっかかって乗組の水夫達が大慌てで船を立て直そうとしている。そして橋の上では野次馬が大勢たかつて水夫達をからかっている。橋のこちら側は料理崖らしい。文人みたいな人が料理を食べながらお柄を飲んでいる。②はこの橋から少し下流の橋で、橋の上には店屋が沢山出ている。橋や、.のこちら側では竹で組み上げられた櫓のよ、?なものが立っている所は酒屋である。柏の下には脚店という宕仮がかけられている。脚店とは支店という意味である。絵券}物は開封の郊外の農村から始まって市中の繁華街を通って城門から城内に入ってゆく。面’円いのは馬、牛、騒馬が荷役に使われているだけでなく、シルクロードを通ってやってきた騎銃が背中に一杯荷物をのせられて城門をでてゆくところが捕かれている。まあ賑やかなこと、日本にこんな街が出現するのは、卜八世紀の江戸まで待たなければならない。定価五二五円こOおぐらいで米なら二千石も積めこの絵の中には嫌々な職業、階級の人の、その円の姿が写されている。服装や持ち物で大休日比ψーがつくが、描きこまれている人の数は七七宅人だそうである。酒屋の前で紐に通した銅銭の束で仕入れた酒の代金を受け渡しする人、二人界きの輿の中には富裕な女性が乗っている。図中の船の長さはる船もある。豊かな経済に支えられ都民の生活は向上し、現代に通じる中華料理はこの時代に食材、調理技術が確立された。外的には弱かったが、私の好きな文化が栄えたのが宋時代である。ctξω−gEωmwDW2・noヨm{山所長反司

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