テキスト2006
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無心になれる!棲「花をいけている聞は無心になれる」。、水年いけばなを続けておられる皆さんが異口同音に、それがいけばなの魅力だということである。私もいけているときは、同じような心の働き方をしている。無心でないのは花を選んでいる時だけなのではないかと思う。花は円然を無心に受け入れて咲く。勿論花も生きものである限り、或程度の作意を持って育ってゆくものではあろうし、植物の世界にも生存競争はあるのだろう。だがその内心は私達には感じられないほど微弱なものであり、無心に生きているようにしか見えない。季節をそのまま受けとって咲き、季節に従って実を結び、或いは葉を茂らせ、散ってゆく。いけばなは、そんな植物をそのままいけるものである。いける我々も花と溶け合って無心になってこそ、いいいけばなになるのではないかと思う。そして、いいいけばなをいけるためには、花の山生を知らなければその花の意に沿ったいけ上がりにはならない。この龍花の中で、先ず花屋で目についたのは葉鶏一頭。そしてこの季節に咲き合わせる+いとして薄とおみなえしを選んだ。無心にいけられるとり合わせだろうと思う。花材葉鶏頭おみなえし薄花器牡丹箆3 / / 子/

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