テキスト2006
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仙驚彩歳月々の記憶、テキストや自分の主いた本のお陰で、かなりしっかりと思い起こすことができる。私の場合、季節に従っていける花が深くかかわり合っているので、何時幾日どんな風に暮らしたのか記憶の大きな手がかりになる。「花ごころ・味ごころ」では、その月の料理の作り・万の前に、私の歳時記を書いている。中々いいことを書いているようなので、時々読み返して一人で悦に入っている。六月の項には、手を動かすことが好きなことをおかしく記している。色んな物を切ったり接いだりして何か形を造るのが面白くなったのは、小学校一年生の頃だったと思っ。その辺にあった木の切れつ判明乞使って飛行機らしきものを作ったところ、それを友達のお母さんがほめてくれたのが、きっかけかもしれない。美術からも音楽からも恥達は色々な私は器用な方ではないことをよく知っている。クラスの中には本当に器用な子がいた。干岡という大工さんの子供だった。三年生の時、工作(当時は手工と云った)の時間に、竹ひごでライトブレーン(簡単な模型飛行機)を作らせられたが、平岡君のは私のとは桁違いによく山来ているのである。物を作るためには、まず手が正確に動いてくれなくてはならない。自分の考えたこと、想い拙いたことが手ん克に正確に伝わることが器用なのである。分よりも訓練が大切なのではないかと習う。が来てくれていた。ある日「器用ゃなあ」とほめたら「器用・なんと違いが第一条件らしい。そして、どの木はどこに使うべきなのかも大切な要件として教えこまれたそうである。そ、ざっくりした仕上げも美しく見せることができるとも一ぶっていた。上での第一要件だが、その上に様々なことが思い描けなければならない。か、それは門然の情景、詩や文学、ものを与え続けられている。深く心にとめて、更に何を見、どんなことを惣い描いているのか考え直してみる時間も必要である。重ねの上に成り立つものだと思うし、個性という言葉も大切に思われているが、大抵の場合それは単なる好みに過ぎないのではないだろうか。余分なものを削りとって最後に残るものが伺性だと思っている。それには天分もあるだろうが、天ねの家には大変腕のいい大工さんまっせ。仕込まれたんどす」と答が返ってきた。正確に作ること、それ正確に作れるようになってからこ正確に造ること、これは物を造る様々な美しさ、心を動かす何物その自分に与えられた事の多くを才能というものは多分訓練の積み。副から胴へ鳴子l守合を入れる。葉は水で濡らしてひろげておく。⑤留に撫子を長く前へ出し、水際に鳴子百合の業を加えたところ。最後に控に鳴千百合を覗かせる(4頁の花)。メヨ薬は葉に議吹きで水をかけ、別の花瓶に水切りしておく。最初にlド間にやや前傾させて立てる。③中間よりも低く真の均薬を立てる。(均薬の足j己に別の茎で支えをしておく)。副に撫子をさす。5

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