テキスト2006
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内みず玄た関の中。その三カ所に石造りの路地の突き当たり、内玄関の前、水溜めをしつらえている。そのそれぞれに欠かさず花を挿したり浮かべたりしている。この頁には随分立派な木瓜が水溜め一杯にいけられている。この木瓜は、家元が華道京展に出した立花の木瓜をひきあげてきたものなので、当然いい筈である。京都の家、或は日本家屋全般の住まい方について云えることだと思うが、余分なものを飾らない。床の間には掛け軸と花、小さな置物があれば充分。玄関には小さないけばなが、そっと置かれているだけでいい。居間、この頃なら大体DKになっているのだろうが一輪挿し程度でいい。あまり多くのものが飾られていると、毎日の片付けも大変だし、ちょっと手を抜くと乱雑になる。日本家屋の一部屋は、欧米にくらべると小さい。だがその小さい空間は見事にととのっている。茶室がその典型である。飾りつけも、道具も必要最小限度のものしか出されていないから小さな空間でも居心地がいいのである。階下の奥の問の床の間に、素子の写真を掛け、その前に色んなものを供えて飾っていたが、三周忌が近付いたので、宜エ一以内と花、だけにしてしまった。部屋がすっきりひきしまった。水溜めの花仙粛9

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