テキスト2006
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(第三種郵便物認可1985年日月お口)桑原専礎流いけばなテキスト問号2006年辺川1日発行(毎月l回1日発行)桑原専度流家見発行パスタという名のガーベラ棲子仙粛彩歳にいけている聞に水を揚げ過ぎて花弁が反り返るガーベラがある。一所懸命いけても、あまり格好よく見えない。ところが作例のガーベラは花弁の先端だけが反っている。「パスタ」という品種名だがゆでたてのフエツトチlネのようである。真中にシンデレラという名前のチーズおろしを立てた。彼女は午前0時になって魔法がとけて、馬車がカボチャに戻ってしまうと、鼻歌まじりでキッチンに立ってパンプキンとチlズのパスタを作り始めた。花材花器今の季節、何かにつけて水仙をいけることが多い。私の最も好きな花の一つである。京都には紅葉が美しく照り始める頃になると、越前岬から初花が送られてくる。能登半島の西側の海岸の傾斜地に育った水仙は、初花の頃、花は咲いても、あまり大きくはない。房総半島南端や長崎の水仙は同じ季節でも、もっとすんなり伸びている。だが京都ではその越前水仙をよく見つめて、その出生状態を基準にいけ方を考えてきた。十二月には花を葉よりも低くと定価ガーベラ(パスタ)モンステラhカボチャ人形明おろし金グリーン・ピンクボウルκ.. 五円}H汁汁匂一\\当者名−}内「コ宅問凶}戸川凶円m凶印。ロwo−−noヨり、一月には葉と花は同じくらいの高さ、二月には花が高くなる。葉を組むときも、袴の高さは季節が進むごとに上げてゆく。目の前の自然を知性によって再構築するのである。その上、いけばなは他の文化と無縁に育ってきた訳ではない。花としての松。梅や楼のような花木、菊や杜若などの草花も大昔からの詩や文学、美術にとり上げられている文化である。その上棲の咲く頃の空の色、風の肌触り。紅葉の季節の吸う息、吐く息、周囲に漂う香り。それぞれに微妙に違っているのである。その素晴らしきを綴密な感受性で心に蓄える。そんな心での蓄積を知性によって再構築してみようとするのが、いけばなである。再構築してみたいけばなが見て下さった人に共戚芋』生むことができれば、いけた人も見た人も幸せなことである。だが共感を得るためには表現の技術も磨かなければならない。トでも述べたように、自然は恵みだけを与えてくれるものではない。大きな災厄も押しつけてくるのである。満開の木蓮の大木を見る時の大らかな気持は、いつ大地震で吹き飛んでしまうかわからない。自然はいい所どりをできない。だが自然は私達の生きる場なのである。麦省一に喜びと哀戚グ乞いけてみたいのである。

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