テキスト2006
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いいシ」回b唱EA赤い小粒楼子仙驚彩歳市「艶で少しくすんだよ、つな赤の梅擬の実。薮山査子の実は艶々していて、中に果汁がはちきれそうなほど入っていそうな感じ。この頁に使ったアメリカ花水木の実は光沢があって明るい赤の実。この実の感じならオバケ・アンスリュlムをとり合わせられそう、と思っていけたのがこの盛花である。そこに白い菊|ポリスベッカl。花器の色も白で単純な配色にした。花材アメリカ花水木の実花器まだ夜の明けきれないうちから、庭に冬の小鳥が暗きはじめる。山茶花が咲き、南天の実が締麗に色付いてきている。夕方、孫達が時雨の中を元気よく走って帰ってきて、大きな声の「ただいまlっ」が書斎まで聞こえてくる。いい季節である。だが、濡れて帰った孫共は着替えさせてやらなければならない。僅かな手間だが厄介ではある。向然と私達のかかわりとは、そんなものなのであろう。親しみと厄介さが併存しているのである。私達は何百万年もの問、自然に大きな恩恵を与えられてきた。オバケ・アンスリュlム円花ポリスベッカl白色柚水盤と同時に災厄も受け続けてきた。この凶苫心と災厄を素直に受けとろうとするとき、壮大な自然の営為に対する敬立が生まれる。地球上の氷河期が終わって人聞が現在のような暮らしをもてる兆しを持ちはじめたのは一万数千年のことである。その頃から初期の農業や牧畜がはじまった。旧石器時代から新石器時代、そしてヒ地を耕し、動物を飼育するうちに、地面を掘って青銅器、次に鉄路を作るようになる。もともと人間は自然に対して敬意を持っていたのかもしれない。だがそれを、はっきりと自覚するようになったのは新行待時代から青銅器時代へ移ってくるあたりからではないだろうか。多分その敬意の良見は人間の知性なのではないかと思う。知性に関する{事我は様々あるだろう。だが私達は自然の二面を歪前一に受け入れるようになった。それを知性といっても私達は白然に対する敬意から花をいけていると云えそうである。もしそうなら、知性は尊重されなければならない。知性は人間すべてが持っているものである。そして知識の多さ、少なさは、あまり問題ではなさそうである。大切なのは、自然に対する敬意をこめて知識を前山することである。(卜二頁に続く)、っ。nu 一

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