テキスト2005
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ゃIれんげもちろんかやつりか・えでめだった。いだろ、っ。の球状の花序をつける。地味だがシンプルにいけると、長い也葉の動きが而’lぃ。KM紫のパンダと二種で涼しげな花器が似合う。花材メリケン蚊帳u巾パンダ花器マイセン磁器舟形皿京都の花崖は品揃えが豊富なので、私達花道家にとって有難い土地柄である。六川になると、地咲きの笹百介、竹山斤AH等の日本原産の.白合頒、上品な香りの花の咲く大山蓮華の枝が、「六月でございますよ」という顔で私の方を向いている。そんな花を見ながら、毎日の稽古花のとり合わせを思案するのだが、一週間後には入荷の終わってしまう花もある。その季、その季をはずさずに毎年同じ花をいけられるのは、暮らしの卜.での美しい折りけにもなっている。八年前、妻の素子との共著で、「花ふたり旅」という本を出版した。スウェーデン、アメリカ、トルコ、エジプト、オランダ、ドイツ、スイス、ハワイで現地で花も花持も口い集め、その街の家の中や風物を背討にして私達のいけばなのり真をとり、解説を加え、五年がかりの旅で一冊の本に仕上げたのだが、一番苦労したのは花集街の花屋には、その凶のその季節を代表するような花が殆ど置かれていない。政んでいる花の極類は、おそらく京都の北出の二分の.ぐら勿論枝物花材はなく、あっても鉢植である。店に並んでいるのはアレンジされて小締麗で使い拾ての符器に挿されたテイク・アウトの盛北現代のことば「京都の花屋さん」[京都新聞6月初日]桑原仙駕と、上下にラッピングされた花束が床や棚を占領している。スウェーデンでは道端で桁や戸、野花を刈り集め、ガラス作家の友人の家の尉囲で楓やオークの紅葉、黄葉を切ったり、苔枝を拾ってきて使ったが、有難かったのは、偶然乗ったタクシーの運転手さんが、−週間ほど前までストックホルムの化の釧光市場に勤めていたので述れて行ってくれたことである失望したのはオランダのアムステルダムである。オランダは花の輸出大固なので、その首都ならどんな花でもいけられると期待して行ったのだが、街の花屋は他の欧米と品種数は変わらなしニューヨークでも街の花尿はヨーロッパと大差ないが、六番街の二十七丁目の花の卸売崖の集中しているフラワー−テイストリクトに行くと、パラ、或いは他の草花、枝物花材等をそれぞれ専門にしている店があって、シーズンらしい花を買い集めることができた。そこで集めた花(卸売りなので一純ずつの単位本数は多い)でワシントン、ニュlオlリンズの分まで整えることができた。この「花ふたり旅」の花集めのおかげで、花をいけるという日常の生活判慣にも円本と外国には大きな違いがあることを感じた。利払達日本人のように、花屋で竹島百合を−−本、桔梗を二本、夏櫨を−一枝という買い方をして、日分で部屋にいけ、季節感を深めようという生活ではないようである。そんな買い方に対応するためには、お特の一人一人に好みの花を白山に選んでもらえる品揃えが必要なのである。その辺に日本の花屋が、日本のいけばなに対応してきた歴史があり、日本独向のいけばなには、共に育ってきた花屋さんが必要なのである。幸いし尿都には伝統を守っている花屋さんが多いのである。a3

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