テキスト2005
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テキスト五OO号昔、先代が眠たそうな充血した目で「隆ちゃん、何か書いてくれよ」と云ってたことを時々思い出す。僕でいいのかな、たまに手助けしたが「中々ええゃないか」とほめられたりもしていた。先代が亡くなって私と素子がひきついだのだが、はじめの頃は写真をとるのにも随分時間がかかったし、その写真を各頁に割りつけ、解説文の字数を計算して、そこから原稿書きがはじまる。素子は最初「少しぐらい誰かに頼んで書いてもらってもいいのよ」と云ってくれていたが、何とか一人で書き続けることができた。だがはじめの三、四年は書きはじ仙驚めても何も頭に思い浮かんでこない夜が多かった。仕方なしにトランプで一人遊びをしているうちに夜が明けてしまったりした。でも五OO口玄まで続けることができた。素子はよく「家元の仕事は、続けることが一番大切なことだと思う。私達も初代からの仕事を受け継いできたけど、それを次の代にちゃんと引き渡し、その次の次の先まで渡せるようにして行きたいの」と云っていた。そして、「もし私達が凡庸な家元だったとしても、何代かの聞に必ず素晴らしい家元が世に出ると思うの。だから誠実に花をいけてればいいのじゃないのかな」と。私もそう思う。だから肩肘はらずに、ただ誠実にテキストを続けよう。テキスト作り仙渓私がテキストの花を毎同一作いけることになったのは一九九七年九月号からだった。たった一作の花をいけるのに、二人がどんどんいけ進んでいく横でまだ器が決まらず、過去のテキストを引っぱり出してはあれこれと考えることもしばしば。考えた末に選んだ器を「そんな地味な花器あかん。あの花器どおえ?」と母に指摘され、そして助けられた。花屋で花を選んでいるときも、「こっちの方が色が濃いえ」と、微妙な色の差であっても、すこしでも良い花材を選ぶ、そういう一つ一つのことが、明るくいきいきとした花の生命力を表現することに繋がっていくことも母から教わった。母は常にいけばなのことを考えていた。何かを思いつくと父に相談。父は独特のセンスで毎回様々な工夫をこらして、母の要望に応える。「ホッホチャンとケンチャン」の工作もその一つ。父の頭の中には奇想天外かつ高い技術とセンス、豊かな情感がつまっている。思いを形にしていく過程を見て教わった。昨年、私の家元襲名を見とどけるように、母が亡くなった。今は棲子も加わり三人で、これからどんないけばなをいけてゆけば良いのか、何をどのようにお伝えすれば良いのかをいつも考えながらテキストを続けてゆこ、っと思、っ。テキストと共に棲子小さな頃からいつもテキストの撮影風景をそばで眺めてきました。花の準備、設営、お掃除と一緒に片づける相棒は変わりましたが、腹が減っては良い花はいけられないという信念で裏方でごはんを作ってきました。昨年からは花と文章でも加わって、自分の花への情熱をもっとテキストに注げるように努力してゆこうと思っています。十三世専渓(私の祖父)のテキストはとてもユニークでした。私が描いた小さい頃の絵を、挿絵として何度か載せてもらいましたが、「絵の巧い棲子ちゃん」と紹介されています。「うつりかわ?j女児の絵といけばな」という題で、私が幼稚園の時に描いた絵と小学五年のものとを比べ、写実的になり技巧的になって上手くなっていくが、面白いのは幼子の童心がそのままに出ているような絵の方である。として、誰でも老年になっても年若い人達と同じように研究心を失わず、明るい花をいけようと努力する事。又、二十はつ歳p勺つの人も六十歳の人と同様に常に溌剰とした研究を続けなければならない。と書いてあり、私の絵から始まって、上手にたとえであるなあ:・と感心してしまいます。撮影が終わるのはいつも明け方でしたが、そうやって小さな頃からテキストとの関わりをもたせてもらえて自然に花の道へと入ってゆけた事を感謝しています。絶妙なバトル祖父(ぴっちゃん)は、テキストをいつも蔵で書いていた。テキストの執筆以外でもいつも蔵にいて、食事も毎日お手伝いのおばさんが運んでいたのを憶えている。テキストの締切が近付くと机の上に宰具が散乱し、写真は稽古場で撮っていた。今の健一郎のように撮影の時、たまに凡られる機会があるとその様子を凡ているというより、その場にいるだけでとても楽しかったのを憶えている。次の花がいけ上がるのを待つ間カメラマンの小西さんからお話を聞いたり、切れっぱしの枝や茎で筏をつくったり、パック紙が掛かって舞台のようになったお稽百場に何故かわくわく胸が躍った。それから父がテキストを執筆するようになり、今の名の通り「書斎の仙人のような人」が今晩も灯りをつけて座椅子に座っている。父がテキストを執筆中、校正はずっと母が主にやっていた。一宇一字じっくりと吟味し、疑問が少しでもあるとその字を調べたり父の根拠を聞いて納得したり、とても慎重で真面目だった。テキストというのは毎月必ず仕上げるもので、その裏側では父と母の絶妙なバトルがあった。二人にとってテキストは大きな軌跡の一部だろう。お互い一緒に楽しんだり苦しんだり茶化したり喧嘩したり。人生で時には最高、時には最悪の相棒と、そんな経学乞出来るなんてなんだかとても羨ましい気がする。はな2

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