テキスト2004
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京都新聞「現代のことば」先円、十一月号のいけばなのテキストに使う写真の花を買いに行った。店に濃赤色の大輪の百合が置かれていた。コプラという名前だそうだが買おうとした時、娘の概子に「えっ、十一月号に百合?」と云われた。る。H本で門生する斤合の殆どは夏咲それはもっともな質問なのであきなのである。そういう行合を万葉の昔から詩に詠みこみ、私達の出逢う季節の美しい織目として親しんできたのである。五月のい木頃から咲き始める笹無季節ということは新緑の山の爽やかな空と風、為朝百合が花屋に並ぶと祇園祭。いけばなは、そんな眼差しで百合を見つめてきたのである。そんな円本原産の百沿い山百合や鹿の子百合、うけ百合、挟百合が十八、九世紀ぐらいからヨーロッパに渡りはじめた植生の少ないヨーロッパではあり得ないほど美しい行合として栽培がはじまった。だが、円本と違った気候風土のオランダやフランスは山百合や鹿の子百合にとって、かなりきびしい生活条件だっただろう。それでもヨーロッパの閑芸家達はて犬を重ねて咲かせることができるようになった。その上、日本の百合を母系として、いくつもの交配品種を作り上げた。そして、それらの交配品種が円本に早川リしてきでいる。だが、季節違いになってしまった新品種も多い。コブラもその一つである。一九八一年の十一月初旬に、桑原専慶流展を開催したとき、丁度その頃輸入されはじめた里帰リ品種の百合スターがイ子lが手に入った。日本原産の鹿の子育合より色が濃く存在感も強い。だがいくら美しくても晩秋の日本の花とはとり合わせると違和感は拭えない。そこで無季節的な花材ととり合わせることにしてスタlゲイザlを使った一作を会場におさめることができた。いけばなは日本の季節を季節として麦盆に受け入れ、多様なとり合わせと花型を求め続けてきた。詩や文学、美術にも季節は重要なテlマだったが、日常生活にも、着物の柄や食器の文様、床の間の掛軸も月ごとに取りかえるほど奥深く反透している。以前ドイツでいけばなのセミナーを数年続けていたことがあった。ある年の六月、親しくなったK性の一人がけ本で反物で買ってきたという棲の柄の着物の生地で、素晴らしいワンピースを着ていた。ほめると彼女は「日本では今の季節に棋の柄の着物は着ませんわね」と照れていた。いけばなを通じて日本の同季の持らしをよく知ってくれていたのである。私達の暮らしは季節へのこだわりあが強い。少々暑い日でも十月には皆袷を若ている。十一月に里帰りの鹿の子育合は凶るのである。そんな話を友人の化学工業会社の社長に話していたら、「そんな百合は今の生命工学(バイオテクノロジー)では初歩的な技術なんだぜ。よく知つといてくれなくては」と云われた。「生命工学がそんなに進歩してるなら、それは飢えた国の人々の食糧生産だけに使ってほしいな」と私は答えた。花、いけばなに用いるのは枝や葉もひっくるめた植物全体の姿である。それは私達と白然との大切な接点である。人工の行きつく先に花は含めてもらいたくないと思っている。京都新聞十月十五日縄載7 π合

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