テキスト2003
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すいこでんかるわざこのデップリした講釈師の姿からうけるイメージは、玄奨の旅行記に関する巷の噂話や作り話に自分の発想をまじえて面白可笑しく語る愉快な人物だったらしい。そして中東やインドからは幻術的なマジシャンや人間技とは回やえないような軽業師の一行が都市に出入りしていた。庶民の幻想は膨らむ一方である。そんな環境の中で歴史を重ねて行くうちに出来上がったのが「三国志」や「西遊記」、「水瀞伝」なのである。読んで面’円くない訳がない。そんな武闘的な面だけでなく、伝奇的な物語の中には美しい夢幻も書き記されてきている。中国の夢幻は今も生きている。「英雄(ヒーロー)」を見た。チ張ャイ塞lモ謀l監督の中国映阿で秦の始皇帝に対する四人の刺客の武侠としての物語りである。私には中国映画が最近とくに面白くてたまらない。二、三年前「グリーン・ディスティニl」も見た。あれは王度成という小説家の「臥虎蔵龍」の映画化で、私は物語を読んで想像を楽しんでいたのが遂に視覚化されたと感じて嬉しくなってしまった。だが中国の技をはじめて世界中にアピールさせたのはブルースリーである。空手も知れ渡り、次いでジャッキl・チェンなどが現れ、空手も功夫、或いはテコンド!とい文中の挿画は下記著作より。中野美代子「孫悟空の誕生」。岡崎由美「漂泊のヒーロー」。う名前の武枝も知られるようになった。だがブルース・リlの時代はまだ日本の宮本武蔵に近い。中国の武技は昔から仙術に結びついていて、それが幻術や軽功(軽業)と結びついて小説や演芸をより面白く見せて来たのである。ジャッキl・チェンも子供の頃軽業の学校へ通わされたそうだが、そのような演技が鍛え上げられている。そこまで来て現代の映画技術を利用すれば「グリーン表現は当然なことと言える。映画に出てくる武侠達の知己に対する信義の心には変わりはないが、姿は左の絵のように現代的な衣裳に変わった「七侠五義」の展昭の絵だが、右側は清時代の版本。左側は現代の香港ニl」や「英雄」の超人的な武技の・ディスティ劇画の展昭である。新聞の映画評に、「英雄」の秦の始皇帝はあんな人格者ではないとか、全体として色彩に溺れ過ぎていると・。を殺すことを止める。「士は己を知か書かれていたが、秦王朝は短かったので、始皇帝を讃える史官の史書は出なかったし、中国は昔から色彩豊かな国だった。だから始皇帝対四人の武侠の話はそれでいいし、背景は良く、衣裳の色もその場の意味をそれとなく知らせていた。最後にジェット・リlの盤、山名氏と始皇帝の言葉のやりとりがいい。多くの非難や背信に耐えて立派な統一国家を築こうとして来た始皇帝。その始皇帝の心を知って、無名氏は帝る人の為に死す」とお互いに悟り、無名氏は死ぬ。これが中国の武侠小説を支えている柱なのである。しらん紫蘭花型草型副流し花器灰白色紬角型水盤春四月、庭に植え込まれた紫蘭の花が咲く。色はやや紫がかったピンクだが、たまに白花もある。紫蘭は日本に自生しているが、他に同属の紫蘭数種が東アジアに分布している。古い植物辞典では「シラン」とルピを振っていることがある。これは漢名で、漢方薬では紫蘭のことを白及とよんでいる。葉は長さ三Oj五0センチぐらいになり、四月に咲いた花は夏の聞に実を結ぶ。従って花材としては春と秋、そして晩秋に枯色を帯びた季節にも使われる。葉は出生を生かすように真、副は長くなびかせる。秋にいける場合必ず実をそえる。7 守、.-r・ Jiニー一

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