テキスト2003
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あがおおみそかくうげん?ト工んくLぴいけばなと自然宗教京都新聞『現代のことば』掲載宗教は、創唱宗教と自然宗教に大別することができるそうである。創唱宗教とは、誰か教祖が現れ、その人が神の姿を定め、教理を作り、それがひろまってできた宗教であり、自然宗教とは、いつ誰が唱えはじめたともなく、周辺の人々の聞に定着した神への信仰である。日本のいけばなに、宗教との関連を求めるなら、自然宗教がそれに当たる。直接いけばなに関連しているのは古代の樹木信仰だろうが、その時代の人々は大木だけを崇めていたのではなく、大きな山、岩、大河、風や雨という地上の自然、そして太陽、月、星という宇宙の常みのスケールにも崇敬の念を抱いていたのであろう。そこから垣間見える様々な神の姿に祈りを捧げている間に原日本的な自扶…宗教の形態が生まれたのだろ、っと思、っ。天空の神々が地上に降って来られるのは直立する大樹の頂きだった。いけばなが古代信仰に根ざした形を持ちはじめたのは室町時代の立て花(後の立花)からだった。畏敬する大樹の件いをいけばな(立て花)として室内に持ちこんだのである。だが、ここでいけばなの道を歩む私は古代日本人と同じ自然観で花を考え、それをいけばなとして人に伝えているの、だろうか。たたずまたは止仙渓ヨーロッパでいけばなのセミナーを開くと夜は雑談の時間になる。日本人の向然観をもとにしてできたいけばな論になると、話はどうしても宗教が絡んでくる。相手は敬度なキリスト教徒である。質問はまず「桑原さんは日本人だから仏教徒ですね」とくる。私は「勿論、そうです」とは答えられない。仏教について何か聞かれても、キリスト教徒のように、生まれてすぐに洗礼を受け、子供の頃から聖書を叩き込まれ、何かにつけてその一節を引用する館寺とは比較にならないほど仏教の教理を知らない。仏教は奈良時代に渡来した外来宗教である。それなら縄文、弥生時代を通じて培ってきた日本の土着の自然宗教について、どれほど知識や実際行動があるのだろうか。一体私は無宗教者なのだろうか。敬慶なキリスト教徒にとって、神を持たない人間はあまり信頼のおける人格には見えないようである。或いは原始的な物神教で暮らす種族と思われるかもしれない。どちらにしても饗芝相手に宗教の話に深入りしたくない。それでも私は私なりの宗教らしきものは持っている。神より向こうは立入禁止のような宗教より「難しいけど、立ち入れないことはないよ」と教えてくれる仏教の方が好きだし、孔子の論語には微かなユーモアが漂っているし、シからけいけんしん芯がないという批判もあるだろうしず閑かに、そして私達日本人が古く百さる日すべ紅りニカルな老子の五千言、美しい寓言のちりばめられた荘子などを、書棚で何十年も優遇してきている。散歩に行くときは古い神社の古木が繁っているところがいい。神々しきを感じる。私達の宗教的環境にはクリスマスまで年中行事に組みこまれている。クリスマスが過ぎると、二ゑでお墓出回りをして掃除してくる。大晦日にはお北参りをして元日一の支度をととのえる。私達の宗教生活は入り乱れていてが、私は日本のおだやかな宗教上の環境が気に入っている。昔、日本では神の名において戦争がはじめられた。未だにそんな国もある。だが今の日本では、どの神の名を借りれば戦争ができるのか、判然としない。から受けついできた草木への想いをいけ続けられれば、それが私の浄土であり天界への道なのである。八月の強い日射しを、つけて百日紅が咲く。庭や公園に植えられているが、他に咲く花木の見あたらない季節にはよく目立つ。そして開花期は長く、夏中咲き続け、最後の花は十月に入ってからよさっきるすべり〈2頁の花〉うやく散る。百日紅という名前もそれに因んでいる。幹は樹皮がつるつるしていて、猿も登りにくそうなので猿滑と一般によばれているが、原産地は中国南部で、江戸時代初期に渡来している。此頃中国へ旅行する機会も多くなったが、中国からの渡来植物でも、中国名と日本名の異なるものが多い。日本名の百日紅も中国では一般に紫蔽とよばれているそうである。花色は白、ピンク、赤などの他に、濃赤色、赤に白覆輪のお大おに虹じ、紫雲と多種多彩である。百日紅は観賞用の花木として方々に植えられているが、切花として花屋ではあまり見かけない。作例では濃赤色の百日紅に白桔梗をとり合わせた小品花にいけ上げている。花材百日紅(猿滑)白花桔梗花器備前焼風花瓶2

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