テキスト2002
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かよう会の新ニ、l西サイ蘭ラン今イランみどろがいけだまこの頁の花をいけていると、四十年ほど昔、かよろムEで新西蘭を裂いていけた盛花を先代にほめられたのを思い出す。当時私はいけばなを始めたばかりの時代で、毎月のかよろム耳で何をいけてもほめられるどころか酷評の連続だった。まるで毎回叱られるために出席してるようなものだったが、自分で選んだとり合わせで、自分の好きなようにいけるのが処世に楽しかったのである。だから酷評されてもあまり苦にならなかったし、そういう評価もある−−Tのだという程度にしか思わず、自分の感阿見と技術だけで何か形のあるものが作れるのが面白かった。そんな態度は先代の目指した『かよろム互のレベルアップにつながらなかったかもしれない。そして頑なに下手の道に自分から突っ込んでいくような弟子に見えたかもしれない。はいけ上げられたときに放つ光があだがそのうちに、といっても大分年月がたつてからたまにほめられるようになった。ごく短期間だったがそれから後は私の花には何の批評も加えられなくなった。先代の標準でコンスタントに合格点に達したらしいのである。ご存知のように『かよλノ会」は自分で自由に花を選んでとり合わせ、好きな形にいけて家元の講評を受ける会である。講評というより自分のいけた花が、人にどう受けとめられているのかを聞いて知る会である。私が『かよ、っム己で得たことで大切に思っていることは、すべての花るかないかということである。それを先代は「真喜その頃私は深虎池の近くに住んでいたので近くに生えている蒲や数じゅ珠ず玉や狗子草を切ってきた無料の花。日本にはじめて入荷した珍しい高価な花。値段のことは全く念頭におかずにいけ続けていた。ただし珍しいえのころぐきただ高価な花に惹かれることが多かったが、そんな高価な花を下手にいけても「高い花を無駄にして!」と云われたことがなかった。先代にはその花の『真空とがいけられているか否かだけが講評の対象だったのである。そして「あんたは花の値段を考えんと欲しかったらすっと買う。その気持は大切やで』と云われたこともあとよんでいた。った。良い教育だったと回心う。昔『かよろム丘で裂いていけた新西蘭が、どんなとり合わせで、どんな形だったのか思い出せない。この作例の新西蘭は十一頁の赤紫色と同種だが色や縞目の違ったのを二枚使った。どの葉も位置と高さをきめてから一枚を四枚か五枚に裂くが下部十代ンほどは切り裂かずにおいて細くなった葉がまとめやすくしている。花瓶には半分ぐらいまで砂利を入れてその上に剣山を置いている。順序としては新西蘭を剣山にしっかりとめてから、まず最下部のカーネーションを挿して二段目、と積み重ねる。簡単な小品花だが、このとり合わせで様々な花型が考えられる。カーネーションの最上段は花弁の奥がややくすんだピンク。あとの二輪は緑色がかった白色の大輪の亦急である。花の色はこの数年で以前には思いつきもしなかったような品種ができている。例えば作例で一番上のカーネーションの花弁の日い部分が淡いセピア色に咲く品種もある。いλZめい大変配色の難しい色相、だがとり合わせを工夫すれば渋くて深みのある感じが出せる。今までドライフラワーのくすんだ色、或は枯色で表現していた渋さを生の花で色彩を構成できるようになってきた。それはカーネーションに限らず、蓄額やその他の花にもどんどん変り色が出てくるということである。だが、ただ単に配色だけのデザインと考えず、いけばなとして考えたい。三段目9

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