テキスト2001
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ひだおも一つ葉撫子花型草型副流し二種いけ花器赤絵陶碗一つ葉は羊歯の一種で庭石の傍に植えこまれている。私の家の庭にも群生しているので時々緑のあしらいに使っているが、今月は三枚切りとって生花にしてみた。真はすらっと伸びた癖のない葉、副は援の多い一枚、胴には幅広で丈の低い葉を使った。種挿では艶がないのでピンクの撫子をそえ、花器も赤絵の陶碗をとり合わせて一つ葉の緑をひき立たせている。一年中使える都合のいい庭草である。生花の内容に就て(三)昭和十一年十三世桑原専渓生花は又の名を流儀花と称えられる程、その流儀その流儀に依って一定の規格が定められてあるものです。如何なる草の花体、所謂、応用的な生花でありましてもやはり生花の伝統的な、しめくくりからは出づるものではなく、又た出すべきものではないのであります。生花はこの一定の劃られた舞台の内に於て限りなく作者の懐ひを表現するところに、日本個有の伝統的な芸術価値をもって居るものでありまして、生花の一つの花型と自然草木の結び合った境を出ずる、出でざると云った程度の創造が最も深い芸術の陶酔境となって居るものであります。あの茶室がその様な意味に於きまして実に周到な用意を持って居るものでありまして、四畳半の席に於ても三畳の茶室に於ても饗容を受ける客も、接待する亭主も何等の不自由を感ずることなく、茶室の窓のとり方、採光などの点に就ても出入り口の適当に作られて居ること等も、いかに狭い茶重であっても正しい法式の備って居るものは実にひろびろとした広間にも匹敵する価値をもつものであります。近来外国人が日本茶室の研究を盛んに行って、床の間の様式を洋室にとり入れベランダにも日本風な広縁を応用されて居ることが様々な建築雑誌に依って見受けられるのであります。これは全く日本建築の優れた点を認識された結果だと考えるのです。これと同じような意味で生花の尊さは一定の限りある花型の中に於て、実に大きい感じを作るところにあり、又た生花の範囲の中に於て作者のいろいろな心をのぶることも出来、生花は生花独特の創作をなすことが出来るのであります。然らば生花の創作とは何ぞやと云う問題になりますが、一つ例を引いてみましよう。こ、に大輪菊を七本づ、生けた流儀花が十瓶あるとする。花格も高さも左布の大きさも殆ど同様に生け上げた十瓶の生花ではあるが、花の用いどころ、花と花との配列、前後の均衡のとり方、花の深みの作り方、葉の整調などに於ては同じ花格の十瓶が、驚くべき変化を与えることが出来、更にこの七本一瓶の花が或は平面的な美しさにのみ終ることもあり、或は深い深い浸撤せる品格を作り出すこともあり、実に複雑な感情を醸り出すものであります。生花の創作に就ての例題はいろいろありますが要するにかくの知く生花は外面的な美しさのみに終始することは実につまらないことでありまして、生花をやるならば必ず深奥なこの立体的な芸術境に触れなければ真の生花を知ることが出来ないものと云えます。またこのように生花の創作は変った花型を考案するのではなく或る定型の中に於いて静寂な心の動きを尊ぶのです。深林の中に於て梢からきらきらと落ち聞える木の葉の音の様に生花初秘伝を掴もうとする人達はこの幽かなさえた音を聞きとるだけの芸術修養が要る訳です。それでなければ真実のよい生花は到底出来難いものであります。生花の創作と云うものは全く花器に向って落着いたこの静寂な瞬間にちょうど泉の湧き出ずる様に生れ出て来るものです。6

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