テキスト2001
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生花の内容に就て(二)昭和十一年十三世桑原専渓ところで生花と一口に言っても、種々の流派があり、中には随分如何かと思うような低俗なものを見ることもありまして、ずることの出来難いものではありますがこれは生花に限らずどんな芸術でも、たとへば絵画はあらゆる芸術のうちの最高のものであると云っても、すべての絵が芸術であると一ぷう意味ではなくたとへば雅邦の山水画もあれば街頭にかかげられる看板のつまらない絵もあるわけで、伺別的なよしあしは如何なる芸術の場合にも附随するものであります。で、ここに優秀な生花と云うものを標準として考へて見ることとしましょう。これ等の優秀な生花には何時も湛々とした新鮮さが満ち溢れて屑るものであって、決して沈滞した一つの花型に徽のはえたようなふるさではないのであります生花はふるいものであると云う言葉には種々な場合があるのですが、このふるいと云う一言葉のもつ意味が、市典的な形式であると云うのであれば正しいので、又たそれとは反封に只だ訳もなく俗な言葉のふるいと云う皮相的な意味であったなれば、私は一応生花のためにその内容を皆様にお話し又た生花をおやりになる皆様方に、更に認識を新たにしていただく必要があると思うのであります。生花は意味なくふるいのではなくて古典的な形式をもったふるさ一般的に論であります。なんだか議論のようになって来ましたが、この点がはっきりしないと生花の尊さに崩れることが出来ないのです。ここで解り易い例を引くことにいたしましょう。私は能を観ることが大変すきでありまして、時にふれて自分のすきな能が催されると、方々の能築堂へ観能に参りますが、何時も考へることですが、あの能舞台に於て用いられる道具や役者のもつ持ちものなどが実に簡点なものであり乍ら、演能中に於てはその簡単な道具や持ちものが実に、豪壮な建築を想像させたり苦々たる荒野を印象させたり、海岸の景色を知何にも目前にある様に感じさせたり、実に感嘆すべき点が多いのでありまして、役者の舞の形や手足の運び方にさへも巌重な定めのあるものであり乍ら、それを見るものには極めて自然的に決して無理を感じさせることなく、その能の筋の中へとけ込んで行くような感動を輿へると云うことは、全くこの能芸術の偉大なるところだと思います。しかもこの能が一つの厳重に定められた規律の中に於て、時代時代の新しい形式をつくり、たへず能築家の人達は新しい舞型や、謡い振を改訂して稜表されて居るようでありますが、生花は丁度この例と同じ意味でありまして、生花と云う一つの限定された世界の中に於て、堪えず新鮮な感情を生み生し新しい感動を泉の湧く如く作り出さねばならぬ性質のものです。(原文のまま)3

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