テキスト2001
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むてあそふとめ金雀枝えにしだ花型行型花器青磁水盤生花の伝統花材となっている金雀枝はヨーロッパ原産の落葉低木で、日本の書物に初めて現れるのは十八世紀に出版された事補地錦盆で、その時代にはかなり栽培が普及して生花にもとり入れることのできる洋花だったのだろう。金剛もオランダ語の『ヘニスタ」或はスペイン語の「イニエスタ」を靴って「エニシダ」とよぶようになったと考えられている。ヨーロッパでの金雀枝は黄花種が多いようだが、生花では主として白花金雀枝が使われている。白花金雀枝には石化(帯化)したものもあるが、石化したものは一瓶中に三本ぐらいまでで、それよ旬多くなるとまとめにくくなり、よほどうまく捌かないと奇形を玩んでいるような生花になりかねない。作例は普通の白花金雀枝で水際からの高さは真が約七十句のいけ上がりになっている。やや腰高の花型だが、本数を多くしたり、小枝の整理を少なくすると太目にいけ上がって腰が低い感じになる。花器は竹筒、或は水盤に胴輪(蛇の目)を使うと捌きやすくなる。ゆる研究がつくされ、実際の技工の上においても、理論の上からも相当に話題とされ書物にもあらわされており、それの総体的なお話は中々簡単には申し難いと考えますので、そのうち二、三の面白い話題を掴んで御参妥に資したいと回ザつのであります。近頃生花に対照して大変流行を極めている投入花や盛花から考えると、この生花の花型とか教えとかが実に窮屈なように見え、古い因循姑息なように考えられ、甚だしきに至っては生花は生きているものではなく死花であると極言する人さ、えあると聞いております。全く一面から考えれば生花は伝統的な世界に閉じこもって、少しの新鮮さもないように考えられるのですが私は全くこれは皮相的な観察だと尽つのであります。以下次号この辺から大変興味深い内容になってくるのだが、要するに先代は、しきたりを穆杏みにしないで、自分の頭で考え自分の心に問いかけながら事乞磨く自然な態度で生花をいけたいという気持ちが強い。(似渓)d7

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