テキスト2001
55/146

樹木は私達と違って毎年若返る。新緑の枝物花材としてよく使われる七竃や機、楓のような落葉樹だけでなく常緑樹も葉が生まれる。私が木の若返りをとくに感じるの花器主瓶胡麻竹寸筒副瓶天目柑水盤主瓶七竃副瓶透百合は椿である。四月中にどの椿も花が終る。追うようにして新葉が葉事乞脱ぎ捨ててひろがりはじめる。そして五月中には成葉の大きさになるが、つい二週間ほど前まで花をつけ暗緑色の古葉に覆われていた椿が全丘右返って華やかで生き生きした緑の木に変貌する。裸枝が新葉で蘇生する落葉樹とは趣きの異なった若返りである。作例の二瓶飾りの主瓶の七竃は普通の副よりも高く枝取りしている。これは真、百六回、副に立枝を使っているので、真、真囲の二本に対して、やや細目の立枝の副を一本だけで普通の高さにとると真、真囲とのバランスがとれないのでこんな花型にした変則的な花型である。副を低めるなら副の沈みを加え、胴を強く見せなければならない。副瓶の透百合は葉の多いものを使い、花は必要な一輪だけにしている。生花の内容に就て十三世桑原専渓この一文は先代専漢が昭和十一年、三十六才の時に行なった講演記録である。最近見付けて読んでみたのだが生花に対する考え方は、私が思っていたことと殆ど一致するので紹介したい。原文のままの方が昭和初期にこのような生花に対するすぐれた考え方があったことがよくわかるのではないかと思う。但し漢字と仮名使いは現代用語にしたおよそ如何なる芸術でも、時代と吾々の生活によってその形式が左右されることは申すまでもない事であります。私達の生活に用いられる多くの実用的な調度品や、或は音楽、演劇、舞踊などの芸術が、時代のうつり亦北わるにつれてその様式が変化し、或はその時代その時代の生活警入に依って、それらの作品が非常な影響を、つけることは当然なことでありま品す。私達挿花の道におきましてもこの例にもれるものではなく、たとえば桃山時代の挿花はその頃の室内の装飾として、最もその時代の趣味噌好に調和する華や仙渓)。(,., .l~X)、5 』:L」~七2誼唱喜二透5瓶百ゅ儲EAれ川ロソ

元のページ  ../index.html#55

このブックを見る