テキスト2001
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てベ・(第一三日刊郵便物認可1985年日刀お日)桑原点度流いけばなテキスト叫円ゲ2001年2川1日発行(毎月1Ml日発行)桑川町市守慶流家厄発行祖母・母・孫で1レよ、っ。日曜日の夕方になると、きまって「ホッホチャン(素子)、アシ夕、オハナノケイコアルノカ」と健一郎から屯話がかかる。どんな花がいけたいのか−一人の相談が十五分間。毎週行儀良く稽古している。花の名前も覚、えはじめた。素子が健一郎にこの頁の花を説明するとこのお花はね、オランダのデルフトという町のことを思い出しながらいけたの。健一郎はまだ生まれてなかった。でも、もうお母ちゃまのお腹の中にいて、ホッホチャン円す\帰ってこないかなと思ってたかもしれないね。デルフトは小さいけど、きれいな所なの。そして京都のように陶器を沢山作っているの。健ちゃんはいつも私の部屋にくると、棚の上に飾つであるこの小さなデルフト焼きの小さなオランダの家で遊びたそうにしているでしょ。だからホッホチャンがこのお家を使って花をいけてみたの。冬になると京都より実ミて雪も一杯つもるの。煙突の上に霞草を挿すと雪みたい赤いガーベラは雪を見ょうと蝿突から顔を山したホッホチャンと健定価五OO円ちゃんかもしれないね。お家の前に綿の実をころがしてみたけど雪達磨を作ってみょうか。もう少し大きくなって、飛行機に何時間ものっていられるようになったら一緒に行こうね。一人でデルフト焼の花瓶行ったらを買って一緒に花をいけょうか。行く?行くつ|多分こんな話になるのだろう。こんな祖母と孫との間柄を見ていると、伝統的な芸は、親が子を教えるよりも、祖父母と孫の間でのゆるやかなやりとりの中で伝えられて行く方がいいのではないかと凹仙える。私達の場合、二人の娘、楼子もはなも、いけばなへの入門は先代の稽占場で始まった。本人達はかなり厳しく艇けられたように思っているらしいが、素子の幼い頃の話を聞くと先代のその長女に対する眼差しと、孫娘達への接し方には大きな開きがある。親と千の場合、伝統芸を問にはさんでお互の感情がむき出しになって対立し合うことも多い。それを一概よくないとは云えないが、祖父母と孫というゆるやかな繋がりには視野を拡げ、伝統芸を明るい目で見ることができるような面もあるのではないかと思う。花材ガーベラ霞革綿の実花持陶製家の模型庁鉄.巾r−ha

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