テキスト2001
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かいらぎ申うならカラテア花型草型副流し二種挿花器梅花一皮柚鉢南アメリカ原産のカラテアは鉢植で沢山売られている。作例に使ったのは、カラテア・ランキフォリアという長葉品種である。れを応用することができる。緑色の葉面に黒褐色の斑紋があり、葉裏は濃い赤紫色なので表裏の対称がはっきりしている。長さは鉢植えだと四卜村ン前後だが地植にすると一灯ぐらいまで大きくなる。他にも七、八種のカラテアが売られているが、生花に使って形をとりやすいのはカラテア・ランキフォリアである。蓄積この生花もカラlE首穴でとったのだが絵の方がわかりやすいので、写真を忠実に描きなおしてみた。カラテア・ランキフォリアは葉の形が葉蘭によく似ている。従って葉蘭の花型がよくわかっていれば、そ他に例、えば擬宝珠の花型を理解していれば、モンステラやフィロデンドロン・セロlムの出生を老議した上で生花に仕立て上げられるようになる。そのような意味で伝統的な花材の稽古は新しい花材での生花の出発点となり得るものである。その一例としてと灼Lムげてみた。花地洛今らく回のいけばな展のタイトルにつけ加えた二字の持つ意味について時々質問を、つけたので解説しておこう。洛とは黄河の支流でその北岸に中国の占代王国の都があり、洛陽と云った。随・唐時代になると都はその西の長安に移った。日本の平ム女京ではそれに倣って都の西部を長安、東部を洛陽とよんだ。その後湿地の多い京都西部は人口が少なくなり東部が中心地になったので洛陽の名だけが残るようになったということである。従って浩は都の窓味する言葉とな竹京都の中心地を洛中、郊外を洛外と云うようになった。洛中と云っても明治初期までは、上京と王尽(中ム尽も含む)だけに区切られた地域で北は一条、南端はJR東海道本線、西は現在の右京区以束、東は鴨川が境県繰だった。そして洛中には商工業が栄え、洛外はその都市生活者の日常を支えると同時に優れた寺院建築が多く、豪商の別邸を造る風雅な地域だった。花浩とは花の都とい、つ怠味だが、花をいける私達には、いけばなが生まれ育った「いけばなの都」とも思える言葉である。春は棲、秋は紅葉、諸々の風物が洛中から手のとどぐ範聞につめこまれていた都市生活の中から生まれたのがいけばなである。7

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