テキスト2001
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あっけ花の名前世紀が変00年という年も来気なく幕がおりここ十五年ぐらいの聞に輸入植物が多くなってその々宣削が中々覚えられないということをよく聞く。だがそれは見慣れない植物だからとい、立理由だけではなさそうである。に使われているが、大体その場の工試しに囲内の山道を歩いてみると名前が云えない植物が圧倒的に多い。もともと知らないのである。知るためには分類立てをして、その科の植物の特徴を知らなければならない。作例のアネモネに取りあわせた花材はパlゼリア。アフリカの南端が原産地で日本にも数種が輸入されているプルニア科の小低木である。明かるい色の年字ととり合わせ、その色を引き立たせる花材である。花器大騒ぎではじまった西暦紀元二Oてしまった。その一年間、日本は政治面でも経済面でも全くいいところがなかったようである。お蔭で大きな悲運に見舞われた方も多かったが、反面小さい幸運に巡り合った人も少しはあったかもしれ自分の身を預けている会社も頼りに花材パiゼリアアネモネなし政治に対する無関心層が多くなり、アスパラガストルコブルl陶花器〈6頁の花〉和則わる・・・できないとなると、自分自身の努力、努力というよりは才免で生きて行かなければならない世の中になったのだろうか。玄見とい、2一青葉はいくつかの青山味げると小才ということになる。もし才覚の世の中ということになさ〈ってしまうのだとすると、人生は索漠としたものになってしまうのだろ才覚、よく玄阪商人は才覚で生きてきたように云われているが、実際には趣味人が多く、高度な教養をそなえた文人的な人もかなりいるゆとりのある柔軟な社会だった。年頭の言葉で主Hいたように、上がったり下がったり、その上、嫌な世紀末だっただけに、新しい世紀に期待する気持は強い。だがこれからの時代、個人の小Jを頼りに生きて行かなければならないのなら、それは心貧しく世智辛い世の中になってしまう。それを救うのは、花をいけているときのような、無心で美しさに触れることによって浄代される。いけばなは今の世相から失われて行く大切なものをとり戻すための一つの手がかりなのである。その手がかりを、少しでもしっかりさせる努力をすることが私の二十一世紀への想いである。ん面め、或は算段、機転、少し程度を下、っ,,AU。6

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