テキスト2000
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こうjuねりんどうかんがJ桑原専度流いけばなテキスト叫号併h;号4向恐1民的引和治l和dug三−’1985年日月お日第三極郵便物認可2000年6月1日発行(毎月l回1日発行)桑原専度流家元発行定価五OO円先代専渓の生花「桑原専慶流挿花図鑑」より今年の師範会の会報「龍胎」に、先代が十四、五人のお弟チさんをつれて大津の真野へ河骨を切りに行ったときの写真が出ている。調べてみると一九七二年のことで故瀬建鹿定先生のお計らいで、ご近所の潅蹴用水に咲いている河骨を研修会のために切らせていただいたときの宰共の一枚である。その時分、何かというとすぐに山へ行ったり、川に花材を集めに行ったりしたものである。最近よく滋賀県に行く。八瀬から大原を抜けて途中越(地名)で琵琶湖に出るのだが先代と花集めに来たことのある場所が次々と思い出に魁ってくる。先日、五月の中頃まだ山桜が咲き残っていた。その桜を「隆ちゃん、あの桜が謡の文句にも出てくる、北山あたりの遅桜や。私は北山桜と云うてるけど」と教えられた。一月には途中越の道は雪が降っていた。.一月にはその雪が道府に五十吋ノほど積もり残っていた。三月になると春の萌。四月になると京都の町より少しおくれて染井吉野。五月に入るともう葉桜になりかけた染井吉野に代って山腹の所々にまだ山桜が咲き残っている。市内から四十分ぐらいの距離で・::

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