テキスト2000
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たねが二000年の昔、私達日本人と西欧二OOO年の意味は、?すらぐかもし一000年八表紙の花青いガラスの器から荒川被が私達を見ている。その美しい色と香りがいい雰囲気をつくり出している。その雰囲気の中からクッカパラが掌のような葉を天に向けて差し上げている。葉柄を長くとっているのでのびやかな感じがする。お正月の花らしくはないかもしれないが、今年は西暦紀元二000年。想いは大きく天空にひろがる。そして、歴史の大きな節目として世界の各地で様々な記念行事が催されるだろう。日本でも色々なことが企画されているのだろうが、よく考えてみれば、人とは見知らぬ者同士だった筈で、歴史は共有していなかった。顔見知りになったのは一五四三年にポルトガル人が鉄砲を持って種子島にやってきてからのことで、西暦の存在を知るのは更にもっと時代があとになる。こう云ってしまうと日本での西暦れないが、ヨーロッパとい、っ一つの大きく強い文化の世界化が各国共通に使える紀年法として西婚を普及させた価値は大きい。この二OOO年の間には様々な文明が興こって栄えたり滅びたりしてきた。日本でも時代と共に多様な文化が消長してきた。いけばなもその一つで、ゆっくりと静かに趣きを変、えながら生長を続けてきている。それぞれの時代の自然観、{丈由観をとり入れながら・:・。花材菩綾クッカバラの葉花器濃紺ガラス器パーティル・ヴアリ!ン作(スウェーデン)松竹梅〈2頁の絵〉先代専演の生花昔、梓の会で松竹梅の生花を研修課題にしたことがあった。古い「テキスト」でたしかめてみると一九七二年一月号にその記録が残されている。竹中慶敏氏と私が切り出した竹をかついで先代と一緒に山をおりてくるところや、水揚げしている宰真。そして先代、私、素子の三人の松竹梅の生花の宜首穴も出ている。先代の松竹梅の生花も一九三三年元旦のひきしまった花型図(二頁)から四十年たった一九七二年になると、花そのもののありのままの姿を型より尊重するようになってきたことがよくわかる。暮からお正月へ〈3頁の花V緑と赤はクリスマスカラl。淡いグリーンのアンスリュlムを加えると居間のお正月花ともなる。花材菩薮アンスリュlムミリオクラダス花器へレンド花瓶(ハンガリー)紙紐製球体3 V

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