テキスト2000
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京都新聞3月別日ぬ朝刊桜が満開の頃、「棲子」という名を添えて、母が私をこの世に送り出してくれた。江戸時代から続くいけばなの家に生まれたが、花の名前は私が初めてだった。一番好きな花は桜。私にとって、月は始まりの月だ。いつも何か良いことが起こるような気がする。日歳の春、両親の主催するいけばな展で、初めて大きな里桜を手にした。どこでどんなふうに咲き、これからどんな姿を咲かせたいのだろうと考えながら、純白の大輪のアマリリスと取り合わせ、一生懸命生け上げた。太くがっしりとした枝を豊かに、伸びやかに表現したいと思ったが、なかなか思うようにはいかず、自分の未熟さを痛感したことを思い出す。生けた限りは毎朝、タと必ず花を手直しして新鮮な水に替えてやると、毎日桜は表情を美しく変えた。まるで主役のような顔をして、私の技術不足を補ってくれているようでもあった。花会が終わっても、器から枝を抜いてしまうのがためらわれるほど、桜は長く締麗に咲き続けてくれた。桜の世話に明見交た一週間だったが、「花を生ける」とはどういうことか、そんな極意を教えてくれたことへの感謝の気持ちは、今でも忘れることができない。京都には桜の名所が数多くあるが、真っ先に思い出すのは、中学・高校で通った女学院の行き帰りにある、哲学の道沿いの静かな桜蛇木だ。放課後、友達とおしゃべりしながらその道を抜け、南禅寺で新緑を見上げながら、ゆったりとした山門の石段にムマ年の「花」|桑原機子PRベIジ私か佐さに有っぽとやたっ睡すい蓮てれんがは咲高く貴池にの感辺じりら、れ草るム桜女だ朝の。座り、館芹桜を眺めるのも好きだった。平安神宮の桜は、憧れの紅しだれ桜。雰囲気が漂うなかでのお花見は、まさに身も心もこの世の春に浸りきるひとときである。夜にライトアップされ、幽玄な音楽に包まれて浮かび上がる情景を、京都の人たちは心待ちにする。3月。梅が終わりかける頃に桜が恋しくなり、毎日の桜前線の情報が気になり始める。そして4月。今年も東神苑で、まばゆいばかりの光によって池に花影が映し出されるなか、コンサートが行なわれる。夜桜に酔いしれそうな夕べが、私の今年の「花」になりそうである。(平安神宮での紅しだれコンサートに寄せて事務局の休日について今年4月より毎週水曜日は事務局をお休みに致しますので、家元および師範会への御用は他の曜日にお願いします。事務局担当、山崎、赤木。三月十日⑧家元教場花材オクロレウカの葉フリージア小手強アルストロメリアドラセナ小品立花研修込再スウィlトピl里草称木毒48

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